「殿! そろそろランチに来なさい」と、「ニューバーグ」のママに呼ばれた。

1989年.高円寺駅近くに新店舗の物件を見つけて、開店準備に追われながらのランチはいつもお向かいのハンバーグ屋さんにお世話になりっぱなし。

ボクやバイトくんのランチには、定番の激安ハンバーグ定食は決して出ない。

夏は素麺や鰻が出て、天麩羅やうどんにカツ丼もだったりと、他のお客さんの目を気にしつつ特別メニューを食べさせていただくありがたい毎日。

10席ほどのカウンター、ご夫婦で切り盛りしている。「本屋をします」と、挨拶してから面倒見のいいことったら。ほとんど社食状態で、店長どころか殿と呼ばれていた。

ママさんと話していたら、THE BEATLES 日本公演にお互い行っていたのがわかってバーニング!

優しいマスターはいつもニコニコ見守ってくれる。そんな高円寺の下町臭さが肌に合うのだった。

 

アタマの中には、T-Rex「Get It On」が流れる。

Scene.2 伝説を作るんだぜ!

 

JR中央線は、東京駅から西へ向かい新宿・吉祥寺・立川を経て終点の高尾に至る。都心へのベッドタウンとして沿線は栄えてきたが、いまや吉祥寺は東京で住みたい街NO.1となっている。

新宿を太陽に例えるなら、高円寺はほどよい距離間で地球の位置にあったのだろう。太陽のように燃え尽きたいと、上京してきた吉田拓郎のような若者たちに十分な酸素を提供できた街だったのだ。

1945年3月10日の東京大空襲で、米軍機に家を焼き払われた両国辺りの下町の人々が多く移り住んだのが高円寺や中野と聞いた。下町人情もごっそり移って根づいた街々だから、物価やアパート代も安く将来を夢見るヒヨコたちには居心地がよかったと思う。

 

ミュージシャン・お笑い芸人・漫画家・演劇人・写真家の卵たち。成功したら青山や表参道・原宿に住みたい、そんな上昇志向の熱気が渦巻いて新宿や渋谷で酔い潰れて終電を失くしても、歩いて帰れるのが高円寺。才能溢れる若者たちが揺籃時代を過ごす街だった。

そして時は岩戸景気以来の、バブルへと向かう時代。高円寺では面白いことができそうだと、駅から10分ほどのアパートの1階7坪で本屋をオープンしたのが1982年。

そろそろ駅前付近への進出をと、目論んでいた時に出てきた物件は店舗分25坪の角地。駅前ロータリーからは一歩入るとはいえ、打って出るにはちょうどいい場所だった。

 

「バイト、したいんですけど!」

店の外壁にバイト募集の貼り紙をしただけで、次々と希望者が押し寄せてくる。しかも個性的な若い子ばかりがやってくるから面白い。高円寺住人の縮図のようだ。

「バンドやっているので、昼間は時間あります」「本屋さんが好きなので、時給は二の次です」「学生です。出版社志望なので本屋でバイトすれば、役に立つかなと思いまして」「美術学校に通っています。本が好きなんです」「プーです、なんか場所からして面白そうな本屋さんって思いました」