草鹿は作戦には反対だったが、ここに至って「一億総特攻」の先駆けとなるよう、第2艦隊司令長官の伊藤整一中将(戦死後に大将)の説得にあたった。伊藤はこれを承諾した。

 沖縄守備隊の第32軍司令官の牛島満中将(戦死後に大将)は、「制空権が確保できない本島に挺身攻撃するのは至難」として、水上特攻作戦に反対した。これは合理的な判断だったが、司令部は特攻一本槍の考えを改めはしなかった。水上特攻は沖縄戦を支援する航空機による大規模な特攻「菊水作戦」の開始に呼応して実施されることになった。

 4月5日、連合艦隊司令部は「大和」に出撃命令を下した。艦長の有賀幸作大佐(戦死後に中将)は出撃を前に海軍兵学校、経理学校を卒業したばかりの候補生73人を退艦させた。