翌6日午後3時20分、「大和」以下、巡洋艦「矢(や)矧(はぎ)」、駆逐艦8の計10隻から成る第2艦隊は山口県徳山沖を出撃した。草鹿参謀長は「燃料は片道分しか補給できない。帰還の途なき特攻作戦であることを覚悟すること」といった意味の訓示をしたが、燃料担当の小林儀作参謀長は、万一作戦中止の場合に帰還できるようにと往復分の給油を行った。

 第2艦隊は豊後水道を出るなり敵潜水艦に補足された。第5艦隊司令長官スプルーアンス大将は艦隊での決戦を考えたが、その前に機動部隊を指揮するミッチャー中将は航空機での攻撃を命じた。

 7日午前10時18分、3隻の空母から第1次攻撃隊260機が発進した。鹿児島県の坊ノ岬沖を航行していた「大和」は午後12時32分に敵機の来襲を受け、対空砲火で応戦した。しかし、4次にわたる猛撃攻撃の前にさしもの巨艦も持ちこたえられなかった。午後2時23分、艦は大きく傾いたうえ砲塔の誘爆によって大爆発し、沈没した。

 航空戦術を軽視した神の作戦によって、「大和」は沖縄の砲台となるどころか、出撃の翌日には九州南西洋上に消えるという悲劇的な結末を迎えた。