日本神話の最高神とされる天照大御神。吉野ヶ里遺跡などのデータを科学的な方法で分析、整理すると「天照大御神=卑弥呼」説が浮かびあってくる――!?その根拠を徹底検証する第6回。


天皇の平均在位年数をもとに
年代をさかのぼると…

 天皇一代の平均在位年数が、10~11年程度。そして一代さかのぼるごとに、活躍年代や没年などが、およそ10年~11年さかのぼるものとして、ジャックが豆の木をのぼるように、古代の空にむけて、年代のハシゴをのぼって行く。

 すると、初代神武天皇の活躍年代は、280年~290年頃となる。すなわち、神武天皇以下、すべての天皇が実在したものと仮定しても、大和朝廷の成立は、邪馬台国の時代以後のこととなる。『古事記』、『日本書紀』によれば、天照大御神は神武天皇の5代前の神とされている。神武天皇から、5代=50年ほどさかのぼれば、天照大御神の活躍年代は、230年~240年ごろとなる。つまり卑弥呼の時代に、おおよそ重なるのだ。

 いま、天皇の代を横軸にとり、天皇の没年を縦軸にとってグラフを描くと、「天皇の代と没年から見る諸説の年代」のようになる。天皇の平均在位年数が、時代が下るにつれ、しだいに長くなっているので、曲線は、下に凸形(下に突き出る)になっている。

写真を拡大 横軸は歴代天皇の代、縦軸はその天皇の没年(退位年)。仮に「卑弥呼=天照大御神」とすると、縦軸は卑弥呼の没年である247年または248年、横軸は神武天皇の5代前となり、史的事実が確定している実線の延長線上にその交点が収まる。作図:アトリエ・プラン
 

 すると、「卑弥呼=天照大御神説」が、史的な事実を示す実線の、きわめて自然な延長上にのっているようにみえる。ほとんど、一目瞭然のようにみえる。

 統計学的に、年代推定の誤差の幅をつけた形で、卑弥呼ではないかという説のある4人の人物が活躍していた時期を示せば、下の図のようになる。 

 すなわち、卑弥呼の時代と重なるのは天照大御神だけなのである。


《天照大御神が卑弥呼であると言える理由 第7回へつづく》