いまや、テレビで見ない日がないトップスター。そんな関根さんにも苦労した時期はあったのだろうか? 知られざる若き日の苦労話を語ってもらった。

毎週2時間、オール新ネタでしたからね……

―― 一般の感覚だと、関根さんは『カックラキン大放送』以来、ずっとテレビに出続けている感じなんですが、芸能界に入って苦労された経験ってあるんですか?

やっぱりデビューしてから、ずっとキツかったですね~。今は芸人が多いですから若い人たちなんかは、いきなりテレビになんて出られないですけど、ボクの場合は無理やり引っ張り出されて、テレビに出ちゃったわけじゃないですか。街のケンカ自慢が、プロのリングに上げられちゃったワケですよ。もう、何もできないんですよ。

――そこから抜け出すのには、苦労しましたか……。

そういう苦労って、本来はデビューする前にやることなんですよね。それをボクはやらないで、クラスの人気者みたいな感じでポーンと出ちゃったんですよ。いきなり、テレビに出ちゃった。だから、デビューした後から苦労した感じですよ。

――今でいえば、お笑い学校とかで勉強することを、デビュー後に学んだ感じですか?

そうです。それを僕はデビューしてからやったんです。だから超先行型ですよね。何も知らないのにデビューしちゃった。「ラビット関根」の頃は、まったくウケなくて、悩みましたよ。そんな時、萩本(欽一)さんに「潜れ」って言われたんですよ。一度、下からやれって意味ですよね。それで、小堺(一機)君と2人で下北沢のスーパーマーケット(かつて下北沢にあった劇場)ってところで、毎週金曜に「ミッドナイトコント」というライブをやってたんですよ。会場はタダでお借りして。また、そのスーパーマーケットの店長が素晴らしい方でね、若い人には協力したいって言ってくれね、昼間も稽古場を貸してくれるんですよ。それに19時から21時までは貸してるんで、22時からはタダでいいよって言ってくれて、ホント、ありがたかったですよ。毎週金曜にやってたんですが、2時間ずっと2人でやるのがキツかったですね。1週間じゃネタが作れないんですよ。

――毎週新しいネタをやってたんですか?

萩本さんに、毎週違うネタをやれって言われてましたからね。なかなか、ネタができなくてね……。キツかったですね。

 

――どれくらいの期間やられてたんですか?

1年やってましたね。毎週、毎週新ネタで……。よく、やったなあ……。

――関根さんの所属する浅井企画にも、若手のいろんなライブとかあるじゃないですか。それでも、2人だけで2時間っていうのはないですよね。

ないですね。毎週2時間なんて、なかなかできないと思いますよ。せめて、年に2回くらいにして欲しいですよね(笑)。しかも、組んだばっかりだから、どっちがボケでどっちがツッコミとかも分からないんですよ。何がなんだか分からないんです。ホンット、きつかったですね。

――関根さんって、湧き出るようにネタがどんどん出てきちゃう印象ですけど、そんなに苦労した時期があったんですね。

出てこない日は、まったく湧いてこない。それで、ボクが段々おかしくなっていったんですよ(笑)。こんな奴見たんだよ、じゃあそれコントでやろうよって。電車でこんな変な奴見たんだよ、それやってみようよって。やったらウケるんですよ。どんどん変な人ばっかりやり始めて。ああ、ボクが変なことをやればいいんだなっていうんで、小堺君がツッコミをやって、作っていって。その時は楽しいは楽しいんですけど、ネタができないときは、ホントにつらかったですね。浮かばない日があるんですよ、何も。そういう日は、2人でフライドチキンだけ食べて帰るっていう……。いきなりリングに上げられて、試合でちょっとずつ強くなった感じでしたよ。今では、あり得ない話ですよね。

――最近の若い人は、苦労するのを嫌がりますよね。

でも、その時期があったから、今の自分があるワケだし、苦労することは絶対に無駄にはならないですよ。


明日は「Q7.仕事を“辞めたい”と思ったことはありますか?」です。