関根勤。今やテレビで見ない日はない、誰もが知る日本のトップスターである。そんな人気者は、どのようにしてお笑い芸人としてのスタートを切ったのだろう。

吉本興業に入っていたかも!?

 

――関根さんがお笑いというものに目覚めたのは、いくつくらいのときですか?

ものまねを始めたのは中学生のときですね。それを友達に見せてみたら、喜んじゃってね。そのうち、その彼も一緒にものまねをやるようになって、高校の文化祭で披露してましたね。

――やはり、お笑い芸人になる前から、おもしろいきことをするのは好きだったんですね。

そうですね。2人で高校の文化祭を回ってましたよ。今でいう“営業”みたいなもんですよ。

――高校生でそんなことをしてたんですか!

そうですね。友達の高校でやったりして。それで大学生になってから、大阪の『ヤングタウン』(大阪のMBSラジオが1967年から放送している人気深夜番組)のオーディションを、友達と2人で受けに行ったんですよ。夜行バスに乗って……。そうしたら、受かっちゃったんですよね。向こうは東京から来ているのを知っているから、心配して「来週、大阪まで来られる?」って聞いてきたんですよ。ボクらとしては、オーディション受けに来るだけでも大変なわけじゃないですか。学生にとって大阪までの交通費が自腹は、大きな負担ですからね。それで「交通費は出るんですか?」って聞いちゃった。当然「出ない」って。仕方なく「辞退します」って断りましたよ。

――もったいなかったですね……。

そうだよねー。でも、その時辞退してなかったら、今頃、吉本(興業)所属だったかもしれないね(笑)。

――そうなると、まったく違った芸人人生を送っていたかもしれないですね。

違ってたかもねー。それでその後も、その友達とは、お笑いの活動を続けてたんだけど、類は友を呼ぶって感じで、あと3人くらい加わって、5人になったんですよ。“目黒五人衆”というお笑いグループつくって、野口英雄記念会館とか、目黒福祉センターとか借り切って、1年に1回くらい発表会をやったりしてましたねー。

――それは素人としてやってるんですか?

そう、そう! だから、あれですよ、アマチュアバンドみたいなものですよ。アマチュアお笑いグループですよ。「WAGE」(小島よしお、キングオブコント2013王者のかもめんたる・岩崎、槙尾らが所属した早稲田大学の学生お笑いサークル)じゃないですけど、そういう学生のお笑いグループですよ。

――その頃に、そんな活動をしていたなんて驚きですね。でも、まだプロではないんですよね。

実はプロになろうとか思っていなかったんですよ。その後、『ぎんざNOW!』(TBS)の「素人コメディアン道場』に1人で出たんですよ。そこで5回連続勝ち抜いて、チャンピオンになっちゃった。そうしたら、審査員をしていた浅井企画の社長に声をかけられて……。プロになる気はなかったから、そのときは答えを渋っていたんだけど、次の日に事務所に行ったら、契約書にサインさせられちゃった(笑)。それが、この世界に入るきっかけでしたね。

――その頃の、関根さんはどんなネタをやっていたんですか。

 

アントニオ猪木さんとか、ジャイアント馬場さん、桜田淳子さん、千葉真一さん……。

――やっぱりというか、すでに現在のネタの源流となる匂いはしますね。

そうですね、もうその頃からやってたんですよね。コロンボ刑事とか、森進一さんとかね。

――いよいよ関根勤のお笑い芸人としての歴史がスタートするわけですね。アマチュアでの活動の経験はプロでも役に立ったのでは?

もうね、ボッコボコの連戦連敗ですよ。ちょっと街でケンカが強かったやつが、格闘技のリングに上がれって言われて、プロにボコボコにされる感じでしたね。

 


明日は「Q2. 転機になった“言葉”はありますか?」です!