現在テレビは間違いなくお笑い芸人が引っ張っているが、関根さんが若手時代のお笑い界はこんな状況だった…。

お笑いはスカスカの空洞状態だった!

――最近は、お笑いブームというか、若い芸人もいっぱいいますね。

お笑いに限らず、自称っていうのがいっぱいいますからね。自称「俳優」とかね。劇団の公演にちょっとだけ出ただけでも、「オレ、俳優やってるから」とかね。アルバイトしながらね。お笑い芸人もそうですよ。「どこどこの事務所預かりです」とか、ホントに多いんですよ。正式な所属じゃないのもいっぱいいますよ。ライブのオーディション出てるってだけでも、「オレら今頑張ってるから」っていうのが何千組ってね。どこで線を引くかですけど、そういう人も入れると、今、すごい数のお笑い芸人がいますよね。

――本当に裾野が広いですよね。関根さんが若い頃ってどうだったんですか?

ボクは1975年からラビット関根で出てきたんですけど、その頃ボクの年代の21歳くらいのコメディアンは皆無でしたね。まだ、さんまさんがその時19歳ですから。大阪にいらっしゃったんですよ。ザ・ぼんちさんも23歳くらいで、まだブレイクする前だったんですね。紳介さんも19歳だったし……。だから、上だと三枝さんが10歳上、やすきよさんも10歳くらい上。それにコント55号がいてって感じです。

――漫才ブームとその上の世代とのちょうど中間なんですね。

そうそう。漫才ブームがきた頃には、ボクと小堺君は伊豆で合宿してましたからね。置いてかれてました。ボクらは、ひょうきん族にも出てないですからね。

――関根さんって、ひょうきん族に出てた感じがしますけどね。

出てないです。ボクと小堺君は出てないんですよ。

――でも、その後の人気を見ると、時代という意味では運が良かったんですね。

そうですね。ライバルがいなかったというのは、ある意味恵まれてましたよね。ちょうどエアポケットだったんです。桂三枝さん、55号、やすきよさんとかの後、ポコンって。あまりにもあの人たちがすごかったんで。後が出てこなかったんですよ。空洞状態でしたね。

――そういう時代もあるんですね。師と仰ぐ萩本欽一さんは「運は溜めるもの」と言っていますが、関根さんは「運」とか「運命」って気にしますか?

やっぱり、生まれた世代だとか、どういう親に生まれたかとか。そういうのは運命ですよね。歌舞伎の家に生まれたら、歌舞伎やりますもんね。それ運命ですもんね。

――生まれた時点で運命が決まってますもんね。

 

ボクの場合は、たまたまエアポケットの時代ではあったけど、まだ上がご活躍されてたから、すごく運が良かったとも言えない。その頃って、あまりバラエティ番組がまだなかったんですよ。そこに萩本さんが切り込んで、『欽どこ』とか、バーッとバラエティを広げていった。ちょうどバラエティの創成期。その後、ドリフとかひょうきん族が来て、テレビにビッグバンが生まれたんですよ。その時に関わっていられたというのは、運が良かったですよね。今ボクが20代に戻ったら、お笑い界入りたくないですもん。もう、上に何層も先輩お笑い芸人がびっしりいるじゃないですか。バームクーヘンみたいにギッチギチ。ボクは、あれをくぐり抜ける自信ないですもんね。詰まっちゃって詰まっちゃって。ボクの時はスッカスカでしたよ。空が見えてましたから(笑)。運が良かったし、そこに入れたのは運命だったんでしょうね。


明日は「Q9. 青春時代の恋愛について教えてください」です。