纒向(まきむく)遺跡の中にある箸墓(はしはか)古墳は果たして卑弥呼の墓なのか?第5回。出土品や最新の測定法から、その謎に迫る。
 



出土品や文献史料から被葬者像を探る

 では、この時期に埋葬された被葬者はどういった人物であったのだろうか。

 ここで改めて箸墓古墳から出土、採集された遺物を見てみよう。墳丘周辺施設から土器が出土しているが、特筆すべき資料として墳丘上から見つかった特殊壺、特殊器台、特殊器台形埴輪、二重口縁壺形埴輪などがあげられる。なかでも特殊壺、特殊器台は弥生時代後期後半に吉備地域を中心に、主に墳丘墓の墳頂部で葬送儀礼に伴って使用された土器で、吉備の首長間の繋がりを示すものであった。見つかった特殊器台は特殊器台の中でも最終型式に位置付けられる「宮山型」である。吉備では宮山墳墓群から出土しているだけで、奈良県内では箸墓古墳を含め中山大塚古墳や葛本(くずもと)弁天塚古墳など最古級の古墳から出土している。吉備地域を特徴付ける資料である特殊器台が箸墓古墳から発見されたことの意義は大きい。つまり、古墳の築造にあたって吉備の首長が大きく関わっていた可能性が高い。しかし、これらの資料をもって箸墓古墳の被葬者を吉備出身者と考えるわけにはいかない。なぜなら同じく墳丘内から見つかった特殊器台形埴輪が特殊器台の影響を受けているものの奈良県内で成立した土器であること、吉備の墳墓では見られない二重口縁壺形埴輪を使用していることなどから吉備の影響は箸墓古墳にみられる数ある特徴の一つだからである。箸墓古墳が奈良盆地の勢力だけで築造されたのではなく、各地の影響のもと造られたことが明らかである。


《果たして卑弥呼の墓なのか?箸墓古墳の謎 第6回へつづく》