はじめまして、国際教育支援NPO「e-Education」創業者の税所篤快(さいしょ・あつよし)と申します。

平成元年生まれ、ただいま26歳。19歳のときに友人とバングラデシュに渡ってから、五大陸にDVDの映像授業を届けることで、世界中の教育格差の打開に取り組んできました。現在は、アフリカのソマリランドとバングラデシュのダッカを行き来していくつかのプロジェクトを進めています。

高校時代は偏差値28を叩きだした「落ちこぼれ」だった僕が、なぜこうしたプロジェクトを進められるに至ったのか。

そんな僕のスタートアップの物語を、僕をサポートしてくれた人々と言葉からお伝えしていこうと思います。

第一回は僕の最高のメンターの一人、一橋大学教授・米倉誠一郎先生です。

 

「クレイジーなやつが世界を変えるんだ」

 

僕のすべての挑戦の原点には、一橋大学教授・米倉誠一郎先生の存在がある。米倉先生が「異分子であることに意味がある」と教えてくれたからだ。

 

米倉先生と出会ったのは、高校二年の夏休みに参加した「日経エデュケーションチャレンジ」というイベントでのことだった。これは「高校生にイノベーションを教えよう」というユニークなテーマのサマークラスで、米倉先生が校長を務めていた。当時の僕は一言でいえば〝落ちこぼれ〟。

中学まではそこそこ勉強ができて、高校では珍しい弓道部のある学校に入るために受験勉強にも力を入れた。しかし高校に入学すると、すぐに勉強についていけなくなった。言い訳に聞こえるかもしれないが、学校の先生の話があまりにつまらなすぎて、勉強に対するモチベーションを保てなかったのだ。成績は見る見る低迷していき、学年300人中280番台をうろうろしているというありさまだった。

 

米倉先生に出会ったときのインパクトは、圧倒的なものだった。彼は何より、「自分の言葉を信じて話す人間」だ。それまで僕は、いわゆる〝ふつうの学校の先生〟に対して「なんでこんなにつまんない話しかできないんだろう?」という違和感を持ち続けていた。

いま思えば、先生一人ひとりには特色があり、少しでもわかりやすい授業をしようと工夫されていたんだと思う。僕が学校の先生に偏見を持って接していて、彼らの言葉を素直に受け入れられなかった面もあるだろう。

ただそのときは、彼らが授業でただ教科書を読み上げるだけで、〝借り物の言葉〟をしゃべっているように感じていたのだ。そういう人たちは往々にして、大事な言葉の伝え方やタイミングを誤っていることがある。きっとその言葉の重みや大切さ、聞き手にどう響くかを想像しないままに発しているんだと思う。どうしても彼らの言葉は、若い世代の世界に対する直観的な理解と大きくかけ離れていて、リアルに感じられなかったのだ。

 

米倉先生は、いままで出会った先生たちとは別の生き物だった。彼のプレゼンテーションには熱量があって、心の底から信じている信念や哲学について話していた。これが僕にとって初めて信頼できる〝格好いい大人〟との出会いだった。

米倉先生の言葉には、世界の猛者と渡りあってきた経験に裏打ちされた重みがある。挫折や失敗を数多く知っているからこそ、「現実ではどのような方法が役に立つのか」を、経験則として伝えてくれるのだ。そんな言葉の一つひとつが、僕の魂を震動させた。

「この日本に必要なのは、君たち若者の世界を変える力なんだ」

「クレイジーなヤツが世界を変えるんだ」

 

さまざまな技術やアイデアが、世界にどのような革新を与えているのか……〝これからの希望〟について熱弁する米倉先生に僕は釘づけだった。「勉強に意味がない」なんてことはない。あらゆる学びがイノベーションを導き出すヒントになる、と米倉先生は教えてくれた。僕は思った、絶対にこの人に弟子入りしよう、と。

このイベントの参加者には後日レポートの提出が求められた。僕はレポート優秀者の一人として、米倉先生とともに北京へのスタディツアーに参加する機会を得た。

僕はこのスタディツアー中に「25歳で最年少の足立区長になる」という宣言をした。出身の足立区の教育格差を是正したいという夢を掲げたのだ。すると米倉先生は「その目標はいいぞ!」と大変面白がってくれた。そこから、いまに至るまでの長きにわたりご指導をいただいている。

 

最年少の足立区長―それまで教わってきた先生なら、そんなことを言う高校生に対して「もっと現実的に進路を考えよう」と諭していただろう。僕自身、そんな夢は笑われるだけかもしれない、と思った。でも、米倉先生は笑わなかった。「変なアイデアを持つことに価値がある」と、本気で僕の夢を評価してくれた。米倉先生は、僕が僕でいることを認めてくれた、初めての大人だったのだ。

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