国際教育支援NPO「e-Education」創業者の税所篤快(さいしょ・あつよし)と申します。

平成元年生まれ、ただいま26歳。19歳のときに友人とバングラデシュに渡ってから、五大陸にDVDの映像授業を届けることで、世界中の教育格差の打開に取り組んできました。現在は、アフリカのソマリランドとバングラデシュのダッカを行き来していくつかのプロジェクトを進めています。

高校時代は偏差値28を叩きだした「落ちこぼれ」だった僕が、なぜこうしたプロジェクトを進められるに至ったのか。

そんな僕のスタートアップの物語を、僕をサポートしてくれた人々と言葉からお伝えしていこうと思います。

第三回は僕の最初の仲間・同世代の三好大助(みよし・だいすけ)です。(第二回はコチラ

 

「みんなで世界を変えよう、バングラデシュで一旗揚げるんだ」

 

社会起業家・駒崎弘樹さんの影響で、仲間とともに冒険できるような物語が始まった。そんな僕にとって初めての仲間が、同世代の三好大助だった。

僕はもともと生粋の目立ちたがり屋だ。講演会やパネルディスカッションで質問のチャンスさえあれば挙手して、何か面白いことを言おうとしてしまう。「お前みたいにクレイジーなやつがいるぞ。」そう友達から紹介されて出会った三好は、僕と似ていて話が合うやつだった。

 

でも、三好と僕の良さは別のところにある。三好は「ドラゴンクエスト」で言えば〝魔法使い〟だ。足立区の教育問題を解決するための無料塾「ただ塾」のビジネスモデルを話すと、またたく間にどういうところが足りていないか、どうやって積み上げていくのかを論理的に考察してくれた。見えていないゴールまでの道のりを、ロジックによって見えるものにしてくれる……そのプロセスは、僕には魔法のように見えたのだ。

 

どんなに面白いアイデアであっても、思いついた瞬間はだいたいむちゃくちゃだ。そのアイデアを実現するためのロードマップや戦略を考えなければならない。その点において、三好は飛び抜けた戦略家だ。彼とチームを組んだことで、僕にあって三好にないもの、つまりは自分の良さが俯瞰で見えるようになった。

僕はそのとき、能力は補い合えるものなのだと気づかされた。足立区長になって教育を変えてやろう、という考え方はソロプレーの最たるものだ。仲間がいれば、プロジェクトはより前へ前へと進んでいく。仲間のいる冒険はとてつもなく楽しいものだと教えてくれたのも三好だった。

 

よく「はじめにバングラデシュに行くのは不安じゃなかったんですか?」と聞かれることがある。僕が初めてバングラデシュに渡航するときには、三好大助と米瀬樹という大学で出会った二人の仲間がいたからおそれなんて全くなかった。

いま何らかのボーダーを超えられない人がいたら、仲間をつくることで一歩前に進めるかもしれない。いったんバングラデシュに出てしまえば、そこからはガザに行くのもソマリランドに行くのも同じようなものだ。ボーダーは、仲間がいれば簡単に超えられる。

ただ、そんな大切な仲間である三好を、僕は二度も本気で怒らせている。

 

一度目は僕がプロジェクトに失敗して、家に引きこもっていた時期だ。僕自身はうまくいかないとネガティブになって誰とも連絡をとらずに引きこもってしまうことがある。そのときも、何度も連絡が入っていたのに、僕はそれを1カ月ものあいだ無視していた。すると、三好から大学近くの戸山公園に呼び出しを受けた。

「ふざけるなよ」

 

そう言って三好は、公園に現れた僕の頰を本気で殴った。僕は、終始無言だった。当たり前だ。仲間の大切さを理解しながらも、それをないがしろにしてしまったのだから。僕は三好にどう謝ったらいいのかわからなかった。けれども三好は、僕に謝罪の言葉を要求することはなかった。その一発の拳で、すべてのカタをつけてくれたのだ。僕は彼の男気に、心の底から感謝した。

 

バングラデシュ渡航前もそうだ。大事な打ち合わせがあるのに、僕は彼女との約束を優先してそれをすっぽかしていた。このときは京都の大浴場で、三好から厳しい説教を受けることになった。こうして詰めるところで詰めてくれる三好という存在は、本当に大きい。僕が言えたことではないが、ときには仲間同士で厳しくやり合うことで、それぞれが目標に対して踏ん切りがつくのではないかと思う。

「みんなで世界を変えよう、バングラデシュで一旗揚げるんだ」

大浴場で三好からのキツい説教をくらった翌日、僕らは坂本龍馬の墓の前で誓った。

 

クレイジーなチャレンジをするときは一人ではいけない。素晴らしい仲間、とくに自分と違うタイプの仲間を探すのだ。相互に補い合えるチームは、冒険を次のステージへと進めていってくれる。

<『若者が社会を動かすために』より抜粋>