日本、唐、天竺が三国といわれた室町時代。西欧列強と対峙していた幕末志士たちの世界観。日本人の世界認識を形成する上で大きな影響を与え、明治時代にベストセラーとなった『輿地誌略』など。日本人の世界観がどう変遷してきたのかをたどるこれまでにない一冊です!
 

長い歴史のなかで日本人は、この世界をどう見てきたのだろうか。

はるか太古の日本人は、この世はもともと混沌としており、それが天と地に分かれたころ、中間地点に現れた神が、次々と島や神を生み出してこの世界をつくったと考えた。

 

六世紀に仏教が伝来すると、遣隋使や遣唐使などを通じて、日本人は仏教的世界観の影響を強く受けるようになる。世界の中心には須弥山が高くそびえ、その周囲に九つの山が取り巻き、裾野が円盤のように広がっている。円盤は金輪、水輪、風輪の三層をなし、金輪上にはいくつかの海があり、塩水の海に浮かぶ四島のうち、南の島に人間が住むと考えられた。なんとも壮大な構図だが、古代・中世の日本人は、朝鮮と中国しかつきあいがなく、その二国と、仏教の聖地としてのインドが世界のすべてとされた。

 

そんな三国世界観を打ち破ったのが、ヨーロッパ人であった。

大航海時代、ヨーロッパの商人やキリスト教の宣教師が十六世紀にアジアに来航、一五四三年にはポルトガル人が日本に到達する。彼らと接触することで日本人はヨーロッパの存在を知り、織田信長のように地球儀を手に入れて世界が球体であることを認識する人間たちも出てきた。さらにヨーロッパに使節を派遣する大名が現れたり、東南アジアへ貿易船を出す豪商や大名が登場するなど、世界観の広がりにともなって日本人は海外に目を向けるようになった。そうしたなかで天下人の豊臣秀吉は世界征服をもくろみ、東南アジアやインドのヨーロッパ人支配地に臣従を求め、明を占領しようと考え、手始めに朝鮮を征伐すべく大軍を渡海させたのだった。

 

江戸時代は一転して、鎖国制度のために日本人は海外へ出ることができなくなった。しかし、強い制約を受けているがゆえに、異常なほど海外に関心を持つようになる。長崎で海外の情報を仕入れた西川如見は、世界の国々を記した『華夷通商考』を刊行、これが大きな話題となり、興味を示した将軍吉宗が如見を招いて下問するまでになった。ただ、『華夷通商考』には巨人の国、数百年生きる鳥の話など、おとぎ話のような逸話も含まれており、決して正確な世界認識とはいえなかった。

十七世紀前半、漢民族国家の明朝が満州人の清朝に滅ぼされると、「中国大陸は、北狄の支配する蛮国になった。だから万世一系の天皇がいる日本こそが中華である」と主張する学者が増え、日本人は世界に対して強い優越意識を持つようなる。

 

しかし十九世紀になると、産業革命に成功した欧米列強が日本近海に近づくようになり、それにともなって彼らに救助された漂流民の体験談が刊行され、正確な世界情勢がもたらされた。ただ、幕閣はその情勢を把握しながら積極的な対応をとれず、ペリー艦隊に強要されて国を開き、不平等条約に基づく対外交易の混乱のなかで幕府は崩壊してしまった。

 

日本は明治維新からわずか四十年後、日露戦争に勝って世界の強国へと成り上がった。けれどこの間、政府の岩倉使節団をはじめ、大勢の日本人が欧米に赴き、植民地に転落せぬよう、すさまじいまでに欧米の技術や思想を吸収するという涙ぐましい努力があったのである。

が、日露戦争の勝利で大国意識にとらわれた日本人は、その後、大日本帝国として勢力を大きく膨張させ、ついには欧米を相手に戦争をはじめ、自壊していく結果になった。

明治時代に各県の小学校や師範学校の教科書として広く用いられた『輿地誌略』 そこに掲載されていた世界地図

本書では、そうした日本人の世界観の移り変わりが理解できるよう、象徴的な記録や文献を精選して紹介した。きっと、日本人がどのように世界を見てきたかという変遷が手に取るように理解していただけるだろう。また、人間というのは、常にその時代の世界観に強く規定されて生きていることも認識していただけると思う。

 

いま私たちが真実だと信じて疑わないこの世界も、じつは未来の人々から見れば、かなりゆがんだ世界観なのかもしれない。