日本神話の最高神とされる天照大御神。吉野ヶ里遺跡などのデータを科学的な方法で分析、整理すると「天照大御神=卑弥呼」説が浮かびあってくる――!?その根拠を徹底検証する第7回。
 

第6回では、天照大御神と卑弥呼の活躍年代が重なることを解説した。

さらに天照大御神と卑弥呼では、下で挙げたような注目すべき共通点もあるのだ。

天照大御神と卑弥呼「9つの共通点」
①女性である
②宗教的権威がある
③夫がいない
④弟がいる
⑤『古事記』に記述のある高木神(たかぎのかみ)と『魏志倭人伝』の「女王の言葉を伝えるために出入りしている男」が符号
⑥『古事記』にしばしば登場する「倭」の文字と、『魏志倭人伝』で「卑弥呼は倭の女王」とあることの関連性
⑦「大和朝廷の祖先の天照大御神」と「邪馬台国の卑弥呼」の「やまと」と「やまたい」の音が類似
⑧卑弥呼の宗女(そうじょ)・台与(とよ)にあたる人物を、日本の史料にも確認できる
⑨卑弥呼死後の争乱と思われる記述が古事記にある
 

卑弥呼が没した前後、
中国で日食があった

 『古事記』神話などによれば、天照大御神が活躍していたのは、おもに九州となる(九州の地名が、もっともよく出てくる)。したがって、天照大御神が活躍していた場所、高天原は、九州方面をさすことになる。

 古代を照らす光は、やはり、天照大御神からくるようである。

 ところで、『魏志倭人伝』や、中国の史書『北史(ほくし)』によれば、卑弥呼の没年は、247年か、248年のことである。

 卑弥呼が没した前後の、247年3月24日に、中国で日食のあったことが、『三国志』と『晋書(しんしょ)』に記されている。

 そこには、不吉な日食に正しく対処しないと、国が亡びることがありうるという趣旨の文がみえる。

 この西暦247年3月24日の日食は、日本では、北九州において、皆既または皆既に近い日食であった。一方奈良県では、皆既または皆既に近い日食であった可能性は、ほぼない。(参考/相馬充・上田暁俊・谷川清隆・安本美典「247年3月24日の日食について」[『国立天文台報』第14巻、第3・4号、2012年4月刊]) 


《天照大御神が卑弥呼であると言える理由 第8回へつづく》