教育現場を混乱させているのは、教師の質なのか

医者はまだ尊敬されているようだが、教師はあまり尊敬されないようになってかなり時間が経つ。世の中からあまりありがたい存在だと思われなくなった。これは個々の教師がダメになったということではなく、職業として、その社会的あり方の評価が低下したということである。私もつぶさにその転換を身をもって経験している。

 

 

教師のレベルが落ちたのだというスキャンダラスな物言いも流行っているが、必ずしも教師の質が下がったとはいえない。

私も37年間高校教師を務め、「教師とはどういう存在であるか」「私という教師はどういう教師なのか」をずっと考え続けてきたが、いまだによくわからない。不思議なことに世の中には「教育とは何か」「教師とは何か」「人間が成長するとはどういうことか」がよくわかっていて、その高い、正しい位置から教師を論じる人がいる。そういう人たちに特徴的なのは「こう述べている私は絶対に正しい考えを持っている」「かくいう私は非常に優秀な教師である」という確信を強く持ち、その確信に少しも揺らぎが見えないことである。

教師は子どもという他者と対面しているのだから、いつも揺らいでいる。自分のやっていることに確信を持ちにくい。一方、「優れた」人には世にたくさん居る教師たちの欠点やら弱点やら人間性のダメな点やらが、あたかも「神」がご覧になっているかのようにすべて完璧に見えるらしい。だから教師に権威がなくなり、教師が尊敬されなくなったのもすべて教師たちの、あるいは、教師の個々の問題性に一元化できるのである。その証明として、自分の優れた頭脳やすごい教師としての確信があるらしい。

したがって、教師が現実に持つ弱点や欠点や傾向性をあらゆる視座から批判することになる。どんな職業人だって、批判しようとすればいくらでも欠点は出てくる。いうなれば、現実の教師を360度の角度から批判するわけだから、「神」のなさっていう業としか思えないような断罪なのである。

最近も教育をよくするためというよりは、教師を批判するために書いたとしか思えない『残念な教員 学校教育の失敗学』(林純次、光文社新書、2015)がよく売れているという。この中身は「私のやっている教育はいいが、ほかの教員のやっていることはほぼダメだ」「私のやっている教育は生徒を成長させているが、ほかの教員はほぼ成長させていない」というものだから、ほとんど批評に値しないくらい能天気なものだが、たくさんの読者が買っているという事実は無視できない。

世の教師たちの権威を守るためにも、その論説の基本構造について少し批判をしておかなければならないと思う。教師は労苦に比して批判されすぎている。

                   <『尊敬されない教師』より引用>