武田信玄像
 
覇王信長が最も恐れた武将・武田信玄。将軍足利義昭の求めに応じて上洛の軍を起こすが、その途上病に冒され、死の床につく。戦国きっての名将が、武田家の行く末を案じて遺した遺言には、乱世を生き抜く知恵が隠されていた――。
 

これは勝頼の置かれた立場、また一族・家臣の感情を考慮したものだったであろう。ただし、武田重臣の高坂昌信(こうさか まさのぶ)の遺稿に仮託し、軍学者・小幡景憲(おばた かげのり)が集大成した『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』は、信玄を偶像化する一方で、勝頼をあまりよく描いていない。信玄が勝頼を後継ぎとせずに陣代にとどめ、武田氏の軍旗を持たせないとする記述内容を疑問視する研究家も多い。

しかし、ここではなお、『甲陽軍鑑』が記す、信玄が指示した勝頼がとるべき戦略について、触れていきたい。

信玄は、自分が患っていても、生きていれば、わが領国に手出しする者はいないだろうから、喪を秘す3年の間、勝頼は深く慎み、決して好戦的に振る舞ってはならないと厳命した。(続く)

 

文/楠戸義昭(くすど よしあき)

1940年和歌山県生まれ。毎日新聞社学芸部編集委員を経て、歴史作家に。主な著書に『戦国武将名言録』(PHP文庫)、『戦国名将・知将・梟将の至言』(学研M文庫)、『女たちの戦国』(アスキー新書)など多数。