《連載書き下ろし再開予告》
森博嗣『道なき未知』は、月刊誌『CIRCUS』で2012年より連載第1回がスタート。第11回まで原稿は掲載されましたが、『CIRCUS』休刊に伴い連載は休止。執筆済の第12回の原稿は未公開。今回これまでの連載原稿を順次再録し、第13回からは著者が新たに書き下ろしいたします。

 

第9回 

人が歩くべき道?

 

日本人は「道」が大好き

 

 小学生のとき、「道徳」という時間があったのだが、今でもあるのだろうか。どうして「道」という字が使われているのか、よくわからないけれど、辞書を引くと、「人のふみ行うべき道」なんて書いてあった。全然意味がわからない。「え? 道徳って、モラルのことじゃないの?」と言う人もいる。ちょっと違う気もするし、だいたい同じかなとも思ったりする。

 何が道徳か、どんなふうにすれば道徳的か、という問題はさておき、どうして道徳が必要なのか、といえば、たぶん、人間の「品」のようなものを形成するノウハウみたいなもの、つまりやはり「道」なのである。あまりに、この道が堂々としていると、若者はときに逸れてみたくもなる。そういう存在である。

 年寄りを敬いなさい、などと教えられるのだが、その理由というのははっきりと教えてもらえない。道徳というのは、「そうした方が無難だ」のレベルを超えて、「そうしないと周囲から白い目で見られるぞ」という脅迫が含まれていたりする。ただ、その道を歩くと、誰でも少し(しかも簡単に)気持ち良い経験ができるので、そのうち、道徳キットみたいなものが売り出されるのではないかと思う。これを買い続けていれば、毎号毎号新しい道徳が実践できるし、だんだん本格的な人格者が出来上がる。創刊号だけは特別価格で二百八十円だ。

 柔道とか華道とか書道とか、古来、さまざまな分野で日本人は「道」を築いてきたけれど、いずれも、技を極めるだけではなく、なんらかの礼節を重んじる。そして、人間の品を磨こうとしている。そういう文化が、西洋に比べて強いのは、たぶん、コミュニケーションを充分に取らない民族性が根本にあって、その反動として生まれてきたものではないだろうか。

 

道徳とは、ほとんど会話である

 

 僕自身は、道徳というのは行動だと考えている。しかし、世間一般で観察される道徳は、単に言葉だ。

 困っている人がいたら、優しい言葉をかける。それが道徳的だとみんな思っているようだ。黙って、寄付金などを出しても、あまり評価されない。金だけ出せば良いと思っているのか、とまた言葉で攻撃される。だけど、困っている人は、言葉よりも金がありがたいだろう。それくらいは想像できる。ただ、口では、「皆さんの声援が一番嬉しかった」なんて応える。サッカーの勝敗にも「ファンの声援」が効くみたいに報道されている。それだったら、負けたのはファンの声援不足のせいになるのかな。とにかく、日本人は、道徳的な会話を重んじる。あまり、正直に本音を口にしてはいけない社会だ。それが道徳というものらしい。

 ところで、「報道」にも道の字がついているのだから、もう少し品を追求してもらいたいものだ、と常々感じる。近頃の報道というのは、ただ発信源が用意した情報をもらいにいき、それを広めているだけであって、広告に限りなく近い機能になってしまった。その方が品は良いのかもしれない。でも、精神が緩んでいるような気がする。精神とは何かといえば、それは外に現れない「心」である。この心があってこそ、道としての存在価値がある、と僕は思うのだ。たとえば、剣道だったら、剣を持つ者としての心がその本質であって、ただ試合に勝てるだけでは道を極めたことにはならないだろう。それと同じなのでは?

 

心のない道があっても駄目

 

 報道の不甲斐なさを書いたついでに、個人の不甲斐なさも書いておこう。ネットを観察していると、今の多くの人たちが「情報」だと思い込んでいるものは、ただの「宣伝」にすぎない。つまり、誰かが作って用意した情報を鵜呑みにして、右から左へコピィ・ペーストしている人ばかり。インターネットも初期の頃は、みんな自分で調べ、自分で考え、自分で作り出したものを公開していた。だから価値があった。

 ようするに、そういうものこそが「道」であるし、また、そういう精神を持っていなければ、道徳的な言葉だけがあっても意味がない。空気が読めるだけの人間ばかりいても、なにも生まれない。少々道徳的でなくても新しいものを生み出す才能の方が、社会にとってははるかに大きな価値をもたらすだろう。

 ま、それはいいとして、最近の僕はといえば、庭仕事に精を出している。草刈りをして芝刈りをして水やりをして雑草取りをしているだけで、八時間くらいはかかってしまう。合間に、犬と散歩し、ちょっと遊ぶ。工作も少しずつ。そして、ときどき、執筆の仕事も趣味的にこなしているという毎日。道徳についてとやかくいえる筋合いではないか。

 

ガレージで、電気機関車を製作中。少し大きくて、中に人間が乗り込めるサイズ。これが26号機になる予定。