司令部にはあせりが生まれていた。鎮海を出て函館方面へ向かうべきと具申する幕僚もいた。ついに東郷は「28日になっても敵艦隊が対馬海峡に現れないときには津軽海峡方面に向かう」ことを決意する。

 26日正午、大本営に「今朝、バルチック艦隊の輸送船が上海に入った」との至急電が届いた。これも上海と長崎とを結ぶ国際海底ケーブルなど、張り巡らせた情報網のおかげである。かりに太平洋を迂回するのであれば、石炭供給の輸送船が必要になる。つまりバルチック艦隊が、東シナ海を北上して対馬海峡を通る公算が大きくなったのである。