武田信玄像
 
 
覇王信長が最も恐れた武将・武田信玄。将軍足利義昭の求めに応じて上洛の軍を起こすが、その途上病に冒され、死の床につく。戦国きっての名将が、武田家の行く末を案じて遺した遺言には、乱世を生き抜く知恵が隠されていた――。

 

やはり同じ理由から、勝頼が信長に長篠の戦いで大敗した時も、武田領を攻めなかった。そして信玄の死後、勝頼は上杉景勝(かげかつ)と和睦している。

信玄が最も警戒したのは信長である。信長が攻めてきた時は、難所に陣を敷いて持久戦に持ち込めばよい。近畿、近江、伊勢と、遠路を来た兵が多いから、彼らは疲れて無謀な戦いに走る。これを一撃すれば、相手は敗れよう。一方の家康は駿河に侵入して来よう。だから駿河国内に引き込んでから討ち取るがよい。

北条氏政は信玄の死を知れば、人質を見捨てて裏切り、敵となるであろうことを、覚悟しておくがよい。

そして信玄は勝頼に、信長・家康の運の尽きるのを、じっくりと待てと忠告する。なぜなら、自分より信長は13歳、家康は21歳年下だった。謙信は9歳、氏政も17歳若い。よって一番年上の自分が天命によって召される。だが、勝頼は謙信より16歳、信長より12歳若い。氏政も8歳、家康からは4歳といずれも年下だ。

この者どもが無理な戦いを仕掛けてくるならば、領国へ引き入れ、信玄が育てた上下すべての家臣が一体となって戦えば、決して負けることはない。さすれば一番若い勝頼が最後には覇者になると、言い置いて死んだのだった。(続く)

 

文/楠戸義昭(くすど よしあき)

1940年和歌山県生まれ。毎日新聞社学芸部編集委員を経て、歴史作家に。主な著書に『戦国武将名言録』(PHP文庫)、『戦国名将・知将・梟将の至言』(学研M文庫)、『女たちの戦国』(アスキー新書)など多数。