江戸の下町•深川。この町に二十数年以上暮らし、この町を舞台にした時代小説を数多く描いてきた作家•山本一力さん。第1回目でデビュー作の誕生秘話、そして第2回目で深川での祭り体験について話してくれたが、今回は、いよいよ町の象徴のような「橋」について語る。

萬年橋にて。木橋であった往時、船を通すため橋脚の高いアーチ橋として知られた。現在の橋も旧橋の虹型アーチを模したデザインで竣工。

 

歌川広重も描いた橋

 江戸時代、掘割と運河の町だった深川には、今なお、多くの橋が架かっている。

 山本(一力)が渡ってきた相生橋をはじめ、永代橋、清洲橋、新大橋等、大川に架かる名橋は数多い。永代橋は1698年(元禄11)に初架橋。1807年(文化4)には、深川祭に集った夥しい数の群衆の重みに耐えきれず落下。現在の橋は関東大震災後の復興橋として1926年(大正15)に架けられた。

現代の永代橋を背景に。写真左奥が深川だ。

五代将軍綱吉が橋を起工

 この永代橋より5年早く完成した新大橋は、絵師歌川広重+彫師+摺師の巧みな共同作業により、世界的な名版画として後世に残った。この二橋の起工は五代将軍綱吉による。 永代橋と新大橋の間、清洲橋の北側から東へまっすぐ延びる小名木川は、水運流通を目的に徳川家康が掘らせたもの。行徳(千葉県市川市)の塩や海産物がこの水路を通って江戸城へ運ばれた。その西の端に架かる萬年橋は、橋の北詰に松尾芭蕉が庵を結んでいたことで知られる(庵の跡地近くに芭蕉記念館が在る)。蛙飛び込む古池もこのあたりに在った。

掘割と運河の町•深川

 江東深川は掘割と運河の町だ。今では埋められてしまった水路も多いが、古地図を片手に、よく整備された遊歩道、親水公園を歩けば、味わい深い佳橋にいくつも遭遇する。深川巡りとは橋めぐりの謂いである。 幕府公認の材木場であった広大な木場(現・木場公園)を抜けると、時代小説ファンには辰巳芸者と猪牙船でおなじみの大横川。新田橋のあざやかな赤欄干が散歩者の目を射る。この橋の向こうは、川島雄三監督の映画『洲崎パラダイス赤信号』で描かれた“洲崎パラダイス”(旧・洲崎遊郭)だ。

新田橋にて。昭和初期、木場の開業医・新田氏が亡妻を偲んで架けた歩行橋の2代目。橋の袂に木場唯一の船宿「吉野屋」あり。

橋を渡るのは人生を渡ること

 橋を渡るのは人生を渡ること 健脚の山本は、今もこれらの川と橋を飽きることなく巡り続けている。

「なぜ橋にひかれるかというと、それは結局人生のターニング・ポイントに似ているからだろうね。その手前と向こうとでは世界が全く違う。彼岸と此岸を結ぶ結界。あの時あの橋を渡ったがゆえに現在があるとか、逆に、あの橋を渡りさえしなければ、というような思いが、誰にでもあると思う」

 そうして最後に、山本は、「本当の散歩ってのは実はこの後に始まるんだよ」と言うのだった。

「時代小説が好きで江戸が好きで、その実地を歩くというのは楽しい。でもそれは、古文書や資料の知識を頼りに文章を書くようなもので、自分の物語にはまだなっていない。自分の足だけを使って、未知の町や道を探すのが散歩の極意じゃないかな」

一力さんの作家人生の始まり、富岡八幡宮にて。

山本一力(やまもと•いちりき)
1948年高知市生まれ。旅行代理店や広告制作会社、コピーライターなど数多くの職業を経験した後、1997年『蒼龍』でオール讀物新人賞を受賞してデビュー、2002年『あかね空』で第126回直木賞受賞。『大川わたり』『ジョン・マン』『深川駕篭』シリーズなど著書多数。