《連載書き下ろし再開予告》
森博嗣『道なき未知』は、月刊誌『CIRCUS』で2012年より連載第1回がスタート。第11回まで原稿は掲載されましたが、『CIRCUS』休刊に伴い連載は休止。執筆済の第12回の原稿は未公開。今回これまでの連載原稿を順次再録し、第13回からは著者が新たに書き下ろしいたします。

 

第10回 

道はつながっている

 

ドライブが趣味かも

 

 僕は車の運転が好きだ。十八歳のときからずっと車に乗っている。通勤も車、遊びにいくのも車だ。奥様(あえて敬称)と話をするのも車で走っているときだし、うちの犬たちも車に乗ると大喜びする。

 最初に車の運転をしたとき、これで日本のどこへでも、自分が行きたいとき自由に行けるのだ、と感じた。つまりは、道がつながっている、という前提のうえに成り立つ期待なのだが、この「つながっている道」というものが、もうそれだけでわくわくさせてくれる。

 実際に、四国や九州や北海道へもドライブに行った。最も多いときは、車を六台持っていた。そのとき、人数が一番沢山乗れる車は、ミニクーパだった。大学への通勤はホンダのビートだったし、遠征するときは空冷のポルシェ911だった。ビートもポルシェも二人乗りだ。ようするに、コンパクトな車が大好きで、今も軽自動車を買おうとしている。大型のセダンやファミリィカーには何故か興味が湧かない。

 昔の若者(僕たちの世代)は、自動車というものに憧れていた。今は違う。きっと、車よりも自分の部屋を綺麗にしたい、そこで料理を作りたい、そこへ友達を招いて、パーティやゲームやビデオ鑑賞をしたい。車よりも、自分の部屋の方がずっと高価だから、これはゆとりある生活だし、都市交通が整備されている豊かな都会が実現している証拠だ。全然悪いとは思わない。

 ただ、車を自分で運転したことがない、というのは小さな不幸かもしれないな、と思う。飛行機だってロケットだって、運転できた方が、できないよりは幸せだろう。

 

空間的なつながりしかない

 

 道がつながっている、というのは、一言で表現すれば「可能性」である。人は、常に可能性に期待する。「生きている」価値も実は、可能性にある。

 線路もつながっているし、電話線もつながっているし、光ファイバもつながっている。つながっていれば、その範囲で「誰でも」「いつでも」「どこでも」可能性がある。

 ところが、どんなにつながっていても、それは地理的なもの、つまり空間的なつながりであって、歴史的な、あるいは時間的なつながりは保証されていない。今まではつながっていなかったものもあるし、いつまでつながっているかもわからない。

 もちろん、もうすぐ新幹線が来るぞ、というような未来の「予定」はある。これは、未来の可能性への期待だ。それでも、現在はつながっていないのだから、「いつでも」という自由はまだない。

 多少想像力が必要かもしれないが、空間ではなく時間に対する道を考えてみよう。時間を超えてつなげられるものがあるはずだからだ。

 自分の過去や未来に対しては、自分自身でつなげる必要がある。昨日のそれが明日のあれになる、というように、できるだけつなげたい。そうでないと、毎日が無駄になっていく気がする。なんとか自分の人生を意味のあるものにしたい、という欲求とは、つまりは、自分の時間的な道に対する憧れなのである。

 若いときのあの体験が、自分にとっては糧になった、と言えるような将来へ向かいたい。きっと若者は本能的にそう感じているはずだ。もし感じないという人は、とても精神が安定している。まるで死んでいるように安定している、といえる。

 

可能性の価値とは何か

 

 可能性というものが、何を生み出すのかといえば、それは「自由」である。可能性を沢山持っていれば、そこに選択の自由が生まれる。道が一つ以下のときには、可能性はなく、選択も自由もない。

 僕は、自由というのは、自分が考えたとおりに行動し、想定したとおりの結果を得ることだと思っているので、可能性だけで自由だとは思わないのだけれど、しかし、可能性がなければ、なにも始まらない。

 まずは、自分で道を切り開くために、考えることだと思う。考えることは「行動」ではないが、考えないと可能性は生まれないので、ようするに、考えない人には自由はない、という理屈になる。

 さて、こんな抽象的なことをよくも毎回くどくどと書けるものだ、と呆れる人もいるだろう。どういうときにこんな抽象的思考ができるのか、というと、芝生の雑草を抜いていたり、金属を旋盤で削っていたり、といった極めて具体的な作業の合間に発想されることが多い。

 では、僕は考えるために庭仕事や工作をするのかというと、そんな打算があるわけでもなく、ただ振り返ると、結果的にそうなっている。これも、時間的な道のつながりの発見だし、「人生」を感じる一瞬だ。

 

春先から芝生整備にはまってしまい、毎日世話をしている。 牧羊犬が2匹いるので、足りないのは羊だけ。