2014年4月から発泡スチロールの家と共に、村上慧さんは日本を移住する暮らしをしている。おととしは180回、去年は60回もの「引っ越し」を繰り返している。東日本大震災を機にこの生活に至った理由や、暮らしてみて気づいたことを綴ってもらった。


 

 2011年の3月に、福島で原発事故が起こった。主に被害を受けているのはそこで発電した電気を使っている人間ではなく、発電所がある土地の人間だ。これは差別だ。なんでこのような差別が日常的にまかり通っているんだろう。どれだけ異常な日々でも、それが続けば僕たちは慣れてしまう。

 震災では、このような差別が普通のことになっているというこの社会のあり様に対して多くの問いが突きつけられたのだと思う。僕はその問いに対するアクションのひとつとして、ホームセンターで発泡スチロールを買ってきて、1畳よりも小さな家をつくり、それを持ち運びながら移動し、お寺の境内や民家の庭、駐車場などの一角を借りてその家を置いて寝泊まりし、頃合いを見てまた移動するという生活をしている。始めてからもうすぐ2年になる。

 この住み方を始めてから僕は東京→埼玉→千葉→茨城→福島→宮城→岩手→青森→秋田→山形→新潟→長野→富山→石川→福井→滋賀→京都→奈良→大阪→兵庫→大分→宮崎→東京→千葉→茨城→福島→宮城→岩手→青森→秋田→山形→新潟→長野→香川と、移動しながら生活してきた。

 移動しているとは言っても僕は現行の社会システムの中で生活している日本国民なので、どこかの住民でなければいけないことになっている。移動するたびに住民票を動かすのは手間なので、最初の東京~兵庫の間は香川県高松市民で、そのあと大分~長野の間は東京都葛飾区民、そのころ結婚して、現在は長野県松本市民になっている。いまは瀬戸内海の小豆島でこの文章を書いている。ちなみに今小豆島に2ヶ月ほど滞在しているので、その間だけでも小豆島町民になるための手続きをしている。

(2014年4月7日・東京都港区にて花見に参加した時の様子)


 この家αだけで暮らす分には家賃も固定資産税もかからない。背負って持ち運べる範囲でしか物が持てないので、自分にとって何が本当に必要な物なのかを深く考えることになるし、何が何で代用できるかもわかってくる。家αになくとも、町にあるもので生活を成り立たせることができる。例えばトイレは公衆トイレやコンビニのトイレ、お風呂は銭湯、洗濯は道の駅の水場やコインランドリーなどを使う(洗濯には洗濯機がいるものと思い込んでいたので、水場さえあれば手洗いで洗濯すればいいと思いつくまで時間がかかった。おそろしいことだ)。そうやって町全体を自分の家として考えることによって、家αに住むことが可能になる。
最近ではすっかりこの家αでの生活は、僕の日常のなかに溶け込んでしまった。僕は家αに住んではいるけど、今では松本には妻と一緒に借りている家もあるし、東京には実家もある。家αをどこかに置いて松本に帰ることもあるし、実家に帰ることもある(いま「帰る」という言葉を使ったけど、松本の家や実家から家αに戻る時も「帰る」という感じがする)。

次のページ 最初は妻の両親もとまどっていた