大河ドラマ『真田丸』では、情けないけど憎めない武将として描かれている家康。実際は熟女好きで知られる一方、なかなか激しい女性関係だったようです。

 

家康の正妻・築山殿の悲劇

 

大河ドラマでは家康がもっとも頼りにしていた女性のひとりといわれる側室・阿茶局を斉藤由紀さんが演じています。阿茶局はドラマ以上にしっかり者で、家康から本当に頼りにされていましたが、史実では家康の周辺には阿茶以外にも大勢の女性がつねにいたことになりますね。

彼の女性の好みは(よく茶化されて)「後家マニア」。つまり熟女好きである一方、晩年は若い側室を好んで持ったので「ロリコン」だったともいわれます。ただ、それは家康の女性観を表面的に見ただけで、後水尾天皇に嫁いだ秀忠の娘・和子 の「御母代」にすらなった阿茶局の例にもあきらかなように、彼女たちの結婚歴や年齢、実家の身分の高低に関係なく、有能な女性を側室という名の「家族」の一員として集めようとしたように思われます。

そんな老練な家康も、若き日には女性問題で大失敗を経験したよう。それが、家康最初の正妻・築山殿による「全裸女性暴行事件」です。

この暴行事件自体は実際に起こったわけではないのですが、徳川家公認のエピソードとして、語り継がれることになってしまいました。

かつて家康は、身分上は今川家の人質になってはいたものの、実際は厚遇されていました。大河でも上杉家に人質として赴きながら、実際は客分として扱われる真田信繁の姿が描かれましたが、史実でも人質はあのように扱われる例のほうが多いのではないでしょうか。

今川義元の妹である瀬名姫(後の築山殿)と1557年(弘治3年)に結婚できたのも、家康が重視されていたからです。夫婦仲は最初から悪かったとは思えず、その証拠に築山殿と家康の間には結婚の翌年に、長男・信康が生まれているからです。

しかし1560年(永禄3年)、桶狭間の戦で今川義元が織田信長に敗れると家康は織田家に媚びを売り始めます。大大名ではない、中小クラスの戦国武将としては懸命な生き残り策でしたが、これが今川の女・築山殿には身内の裏切りにしか思えなかったようです。

一説に築山殿は、戦国大名としては滅亡してしまった今川家の再興を悲願していたといわれます。しかし彼女の弟の今川氏真は、御家再興を考えるどころか、1575年、天正3年2月16日、京の相國寺にいる信長のもとに(ずいぶんとへりくだった様子で)挨拶に訪れ、二人は懇談しています。氏真の真意はわかりませんが、こうすることでしか自分、そして今川家は生き残れないと本能的に悟っていたのかもしれません。

 

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