《連載書き下ろし再開予告》
森博嗣『道なき未知』は、月刊誌『CIRCUS』で2012年より連載第1回がスタート。第11回まで原稿は掲載されましたが、『CIRCUS』休刊に伴い連載は休止。執筆済の第12回の原稿は未公開。今回これまでの連載原稿を順次再録し、第13回からは著者が新たに書き下ろしいたします。

 

第11回 

道具の心持ち

 

道具がおもちゃだった

 

 僕は子供のとき、おもちゃを買ってもらえなかった。そのかわり、道具ならばなんでも買ってもらえた。それが母親の教育方針だったみたいだ。だから、僕にとっては、道具がおもちゃだった。

 この認識が、今でも僕の根底にあって、ついつい新しい道具を買ってしまう。使えるか使えないかわからなくても、とにかくそれで遊びたくなる。何に使うのかは、使っているうちに思いつくだろう、というような本末転倒でも気にならない。

 道具というのは、「道」の文字が示すように、それを手にすれば、あたかも目的に向かって道が開けるような、なにか自分に新しい能力がプラスされたような、そんな気持ちにさせてくれる。錯覚だろうか。

 もちろん、実際にはそれほど簡単ではない。たしかに「便利」にはなる。しかし、道具があるからといって不可能が可能になる、という例はまずなくて、単に時間が節約できるだけ、という程度の効果がせいぜいである。新しい道具を持つと、たしかに「やる気」は湧く。でも、やる気だけで物事が解決する、と思ったら大間違いなのだ。

 ところで、道具というのは、「使われてる」というようなマイナスのイメージを抱かせる。たとえば、「私は道具でしかなかった」みたいに言ったりする。便利に使われ、目的が達成されたら不要になった、というような意味だろうか。同じく、「私は単なるおもちゃだった」というのも、やはりマイナスのイメージで、弄(もてあそ)ばれただけで真面目に扱ってもらえなかった、という意味合いになる。僕は、道具もおもちゃも大事にしたいと思っているから、人間であっても、「道具のような人」も「おもちゃのような人」も社会に絶対必要だと思う。この言葉がプラスに使えないのが残念でならない。

 

道具の機能とは

 

 道具を手にするとき、何故かわくわくする。ゲームのアイテムみたいに新たな能力がプラスされたという感覚は幻想だけれど、少なくとも、道具を使いたくなるし、なにがしかの行動を起こす契機になるわけだから、その結果が得られる。また、それを使って何をしようか、と思考するだけでも、自分の可能性が見えてくる。道具がなくても、その可能性が見えると良いのだが、普通はそこまでの想像は難しい。道具という具体的なものがあって初めて、可能性の道筋が見える場合が多い。

 ちなみに、おもちゃというのも、想像力によって使う道具のことである。子供は、おもちゃで遊んでいるときそれが本物に見える。バーチャルリアリティだ。大人になって、おもちゃで遊べなくなるのは、想像力が衰えるからにほかならない。

 したがって、大人になると、より具体的な夢を思い描こうとして、おもちゃではなく、道具を求めるようになるのかもしれない。

 ビジネスにおいても、道具は非常に重要だ。道具にばかり凝る人間を「道具道楽」とする向きもあるが、上手く噛み合うことがないわけではない。道具によって人生が変わることだってある。少なくとも宝くじを買うよりは、道具を買った方が期待値が高い。ときどき、ちょっと高価なものを求めるのも良いと思う。素晴らしい道具は、機能的な満足度だけではなく、使う人間の背筋を正す効果があるものだ。

 

道具から入るのもあり?

 

 たとえば、僕はパソコンに出合わなかったら、文章を書く仕事をしていなかったと思う。そうそう、小説を書こうと思い立ったとき、まず家具屋へ椅子を買いにいった。けっこう高価な椅子を買ったので、僕の奥様は、「道具道楽なんだから」と呆れていたのだが、あのとき買った椅子ほど、大当たりした投資は森家史上例を見ない。というよりも、それ以外の投資は、すべて失敗している気がする。だけど、一つでも当たれば、元は取れるのだから、やってみる価値はあるだろう。

 工具など、もうどれだけ投資したかわからない。たとえば、ペンチだけでも五十本くらいは持っているはずだ。ドライバは百本は軽くあるだろう。一番高い工具は、旋盤か。昨年、二機目のフライス盤を買って、ガレージに設置した。重さが二百キロ近くあるから、これを設置するために、吊り上げる道具を一式揃えた。旋盤やフライス盤を使って、既に数多くのものを作ったけれど、プロに製作を依頼した方が、これらの工具を買うよりは安い。だから、元は取れていない。しかし、自分で作るのは安いからではないのだ。自分が経験したいから、お金を払って楽しんでいるのである。

 道具というのは、便利さだけが機能ではなく、使う楽しさがある。まさにおもちゃと同じだ。

電気機関車が完成し、毎日運転を楽しんでいる。 この地では気温が25℃を超えることはないので快適。