本日『福岡 地名の謎と歴史を訪ねて』(ベスト新書、一坂太郎著)が発売されます! 兵庫県生まれ、山口県在住の著者と、奈良県生まれ、東京都在住の編集Nが、なぜ「福岡」を題材に企画をスタートさせたのか? 今回は、本書誕生のエピソードをご紹介したいと思います。

山口県下関市に住む一坂太郎が

福岡に興味をもった理由とは・・・?

歴史研究家の一坂太郎先生と担当編集者Nとの出会いは、2014年10月に発売された『吉田松陰と高杉晋作の志』(ベスト新書)にさかのぼります。『吉田松陰と高杉晋作の志』はもともと2004年に『松陰と晋作の志』というタイトルで出版されたものが元ネタ。『松陰と晋作の志』を読んだ私は、「生死」を度外視して、「義」を貫いた若き変革者・吉田松陰と高杉晋作の志にすっかり虜になりました。「この本は、埋もれたままにしてはならん! いまこそ世に出し、幕末の若者たちの叫びを届けなくては…!」という衝動にかられ、2014年にリバイバル出版と相成りました。このご縁が、今回の『福岡 地名の謎と歴史を訪ねて』につながります。

 

一坂先生のライフワークは「高杉晋作研究」。先生は大学時代に、福岡県士族の江島茂逸が記した『高杉晋作伝入筑始末』という小冊子を読んだことが福岡藩の幕末維新史に注目したきっかけだったと言います。この『高杉晋作伝入筑始末』はなにを隠そう、高杉晋作の伝記の第一号なのです。いまでこそ幕末のスーパースター・高杉晋作を題材にした本は100を優に超えますが、その第一冊目が、長州人ではなく、福岡の人の手によるものだというのが意外ですよね。

幕末の革命児・高杉晋作
 
 

というのも、高杉晋作には、長州藩内の反対派に命を狙われた際に、中村円太(福岡藩士)に伴われ、筑前福岡に逃れていた過去があるのです。『高杉晋作伝入筑始末』はその顛末を関係者の証言をもとに詳細を描いたもの。一坂先生はその小冊子に心惹かれ、福岡へと導かれました。つまり先生にとって、「高杉晋作」が「福岡の歴史」を紐解く契機となったのです。(余談ですが、先生は大学卒業の際に、この『高杉晋作伝入筑始末』をご自身の手で自費出版したそうです!)

幕末に巻き起こった尊王攘夷運動ですが、ご多分に漏れず、福岡でも加藤司書・月形洗蔵・中村円太・平野国臣らを中心とする筑前勤王党が生まれました。ですが、「乙丑の獄」(慶応元年・1865年)で弾圧されてしまったので、福岡藩は新政府に人材を送りこめず、乗り遅れてしまいました。一坂先生は、「戦国武将たちによって合戦が繰り広げられたすえ、江戸時代になると福岡・小倉・久留米・柳川の四藩が誕生した。それぞれ個性的な藩運営を行ったが、いずれの藩も明治維新のさい、上手く時代の波に乗ることができなかったようだ。近隣の鹿児島県や山口県の出身者たちが、“維新の勝者”として栄達をきわめてゆく中で、“敗者”となった福岡県人は独自の生き方を迫られることになる。だが、そのことがバネになって、かえって福岡県を大きく飛躍させたとも言えよう。過去の“栄光”を振り返るのではなく、常に前向きに進んだのだ」と言い、歴史的背景と、福岡の県民性とを結びつけます。

ちなみに、本書では、「乙丑の獄」で弾圧されてしまった筑前勤王党の墓所一覧が掲載されています。福岡県の郷土史にも載っていない、とっても貴重な資料となるはずです。

一坂先生と「福岡」との最初の出会いは幕末史でしたが、本書では、古代からさかのぼって解説しています。福岡県の成り立ちや動乱のさなかどう立ち回り、いかなる辛酸をなめ、そしてどのような飛躍があったのか……などなど福岡の通史を分かりやすく1冊にまとめています。

歴史の舞台となり続け、いまや人口増加率NO1となった福岡県からは、学ぶことは多いと思います。そういう意味でも、福岡県人だけでなく、ぜひ多くの方に手に取っていただきたい1冊です。

担当編集者N、激推しの『福岡 地名の謎と歴史を訪ねて』は全国書店ならびにインターネットサイトなどで絶賛発売中です!!!!!!!