「読書で知的武装」するなんて実にくだらない!

「情報を仕入れるための読書」から、いい加減、卒業しよう!

ゲーテ、ニーチェ、アレント、小林秀雄、三島由紀夫……

偉人たちはどんな「本の読み方」をしていたのだろうか?

正しい「思考法」「価値判断」を身に付ける読書術とは?

哲学者・適菜収が初めて語る「大人の読書」のススメ。

KKベストセラーズ 定価:本体1300円+税 大好評発売中!
 
 
第6回

思考回路を身につける

 

世の中には自己啓発書のような読書論が多い。

 その中に「とにかくたくさん読め。内容は忘れてもいい」というのがあった。

 でもそれではダメです。

 濫読期の子供ならともかく、大人が読んだ本の内容を忘れていたら、時間のムダです。

 そもそも内容を忘れていいような本を読むべきではない。

 トリガーというか、ひっかかる部分を一節でも頭の中に保存しておくべきです。

 そういう目的意識をもって本を読めば、古典的名著の中には必ず核となる思考回路が存在することに気づきます。

 本を読むときには大事な部分に傍線を引きます。

 たまに「本に傍線を引くなんてとんでもない」と言う人がいますが、相手にしないのが一番です。

 傍線を引くのは、読み返すときのためです。

 傍線を引いた部分とその周辺だけ読めばいいから、二回目、三回目に読むときは時間もかからない。

 その中でも、著者の思考回路を示しているところに印をつけていく。傍線の横に番号を振ってもいいし、ページの角を折り曲げてもいい。

 先ほど例に挙げたトクヴィルなら、不平等ではなくて平等の中で革命は加速するのであり、専制から解放された人間は専制に呪縛されるようになるといった部分でしょうか。

 そして、私の見るところ、ある種の法の下では、デモクラシーは民主的な社会状態の促進する精神的自由の火を消してしまい、その結果、かつて階級や人間が押し付けていた拘束をすべて断ち切った人間精神が、今度は大多数のものの一般意思に進んで自分を固く縛りつけることになるのではなかろうか。もし、民主的諸国民が個人の理性の羽ばたきをこれまで妨げ、あるいは過度に遅らせてきたありとあらゆる力の代わりに、多数者の絶対的な力を置き換えたのであれば、害悪の性格が変わっただけのことであろう。人間が自立した生き方を見出したことにはならない。厄介なことに、隷属の新しい形を発見しただけであろう。(『アメリカのデモクラシー』)
 私は民主的な国民は自由を生来好むと考えている。本来の性向からすれば、彼らは自由を求め、自由を愛し、これから隔てられると苦痛なしにはいられない。だが彼らは平等を求める熱烈で飽くことなき情熱、永続的で克服し難い情熱を有する。自由の中に平等を求め、それが得られないと、隷属の中にもそれを求める。 (同前)

 

 こうした感銘したところ、思想の核心の部分をチェックする。

 トクヴィル特有の思考回路を頭の中に叩き込むわけです。

 アレントに関してもそうですね。

 アレントは世俗の「常識」とは反対に、近代の理想や社会正義、弱者に対する同情がジェノサイドにつながるカラクリを示していく。

 しかし、彼らのさらけだした苦悩が不幸な人びと(マルルー)を激怒の人びと(アンラジエ)に変えたのは、革命家たちの――「同情の熱意」が、この苦悩を賞賛し、さらけだされた悲惨を最良のものとして、あるいは徳の唯一の保障としてさえ歓迎しはじめ、したがって、革命の人びとが自覚しないままに、人民を将来の市民としてではなく、不幸な人びと(マルルー)として解放しはじめたときになってからであった。しかし、それが人民の解放ではなく、苦悩する大衆の解放の問題であったとすれば、革命の進路が苦悩に固有の力の解放、すなわち、錯乱した怒りの力に依存していたことは疑いない。 (『革命について』)

 アレントの思考回路を追体験することで、見晴らしがよくなる。

 その「見え方」は、革命の害だけではなく、革命批判者や自由主義者に内在する欺瞞までを貫く。アレントがナチスを批判するのと同時にユダヤ人社会やアメリカの矛盾を突いたように。

 その「見え方」を体験するのが重要であり、トクヴィルやアレントが出した答えを暗記することではない。

 ヤスパースが言っていることも同じです。

 ヘーゲルは、哲学史全体を意識的・総括的に、哲学として自己のものにした最初の哲学者であります。彼の哲学史はこの意味で、今日までもっとも規模の大きい業績であります。しかしそれはまた、固有のヘーゲル的原理によって、透徹した解釈をもって、同時にものを殺してしまったような所業ででもあるのです。あらゆる過去の哲学者はヘーゲル的な光に照らされると、その瞬間に、驚くべくほど明るい探照燈(たんしょうとう)に照らされたかのように明瞭に浮かび出るのであります。しかしそのつぎには、人は突然、ヘーゲル的思惟はすべての過去の哲学から、いわば心臓を切り取って、その残りを死体として、歴史の巨大な史的墓場に葬り去るのを認めねばならないのです。 (『哲学入門』)

 

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリード リヒ・ヘーゲル (一七七〇~一八三一年) ドイツ観念論を代表する哲学者。著 書に『精神現象学』『法哲学』など。

 

 これは哲学だけでなく、すべてにおいていえることです。

「心臓」とは思考回路です。

 答えにとらわれれば思想は死にます。

 思考回路、視線を身につけない限り、見えてこない世界は確実にある。

 見えてくる世界が示すものは「結論は危険だ」という事実です。

 

〈第7回「自分の意見などいらない」につづく〉

 

著者略歴

適菜 収(てきな・おさむ)

1975年山梨県生まれ。作家。哲学者。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』、『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、『日本を救うC層の研究』(講談社)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、中野剛志・中野信子との共著『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』(文春新書)など著書多数。