「生きるか、死ぬか」謀殺・暗殺もまた、ひとつの戦略であった戦国時代に、
多くの戦さを生き抜きながらも突然死・自刃・病死した武将たち。
にわかには信じられないその不審な死の謎を徹底検証する。
 
 

破傷風?関ヶ原の外傷で「2年後」に死す

 

徳川四天王のひとり、井伊直政(いい・なおまさ)は赤備(あかぞな)えの軍装で知られる猛将だ。少年時代から家康に仕えた直政は、一説にはその美少年ぶりから家康の寵童(ちょうどう)となり、やがて家康から武田家の旧臣を附属されて一手の大将となった。その戦いぶりは勇猛果敢で、つねに陣頭でみずから刃をまじえ、家康から「直政はいつも重装備の甲冑に身を包んでいても負傷が絶えないな」とからかわれるほど。

 

慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の後、家康はそんな直政の歴戦の功を賞して「開国の元勲(げんくん)」と称えている(『寛政重修諸家譜』)。 この合戦の前後、外交手腕にも長けていた直政は、多数派工作や戦後処理にも活躍し、家康の政権樹立を輔佐した。

 

家康は直政に全幅の信頼を寄せ、彼を近江佐和山城18万石の大名とするのだが、そのわずか2年後、直政は数え42歳で世を去る。

 

関ヶ原の戦いでの負傷による破傷風が死因とされるが、2年もかけて苦しむ破傷風などないし、2年前の古傷が開いて破傷風に感染するなど、どうにも不自然に感じられる。