「読書で知的武装」するなんて実にくだらない!

「情報を仕入れるための読書」から、いい加減、卒業しよう!

ゲーテ、ニーチェ、アレント、小林秀雄、三島由紀夫……

偉人たちはどんな「本の読み方」をしていたのだろうか?

正しい「思考法」「価値判断」を身に付ける読書術とは?

哲学者・適菜収が初めて語る「大人の読書」のススメ。

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第8回

三島由紀夫の読書論

 

 三島由紀夫が「若者が陥りがちな読書」について述べています。

 われわれはよく誠実な顔をした少女や青年に会います。彼女や彼らは人生というものを実にまじめにとっております。寸毫(すんごう)の不正も許すことができず、一点の汚濁も容れることができません。彼女たちはいわゆるおとなを憎み、おとなたちの不潔さを弾劾します。それでもおとなたちはなにか仕事をしているのですが、彼女たちはまだ仕事を持たず、つまり青春の倦怠の状態にいるのであります。私が申したいのは、この種の倦怠は人生に対して真摯なように見えながら、実はずるさの自己弁護、自分が傷つかないことの自己弁護にほかならない場合が多いのであります。そしてそういう倦怠と孤独を埋める方法として、人々は本を読みます。 (「青春の倦怠」)

 これは典型的な「子供の読書」です。

 現実逃避、自己正当化、知的武装のための読書、即物的な刺激を求める読書ですね。

三島由紀夫 (一九二五〜七〇年) 小説家、劇作家、評論家。著書に『仮 面の告白』『金閣寺』など。一九七〇 年、自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自 殺。

 

 三島は続けます。

 従って逆にいいますと、読書がそれほど人生の助けになり、身につく時代もありません。客観性を欠いた読書、批判のない読書、そして自分のためだけの、自分の気に入ることだけをひっぱり出すための読書、自分で結論が決まっていて、その結論にこびるものだけを取り出す読書、若い人の読書はおおむねこういうものが多い。 (同前)

 三島はこうした読書を全否定したわけではありません。

 かつて子供でなかった大人はいない。

 三島が言っているのは、たくさんの砂を篩ふるいにかけて砂金が残るように、最後には一点のよいものが残ればいいということです。

  それはその読書のなかに最後にカチンと触れる核のようなものであります。それは最後に、読む人に向かって「ノウ」と言います。 (同前)

 そこで若者は目が覚める。

 そのときに初めて「大人の読書」に変化する可能性が生まれる。

 こうした経験をもたない人が、とりかえしがつかなくなっていくのです。

 一流の文学は読者に媚びるのではなく「ノウ」を突きつける。

 文学は美しい物語ではありません。

 三島は「純文学には、作者が何か危険なものを扱っている、ふつうの奴なら怖気(おじけ)をふるって手も出さないような、取扱いのきわめて危険なものを作者が敢(あえ)て扱っている、という感じがなければならない」と言います。小説の中にピストルやドスや機関銃が現れても、何十人の連続殺人事件が起こっても、作者自身が身の危険を冒して「危険物」を扱っていなければならない。

 その危険物とは、美でもいいし、家庭の平和でもいい。ありきたりの情事であってもいいし、又、殺人であってもいい。子猫の話でもよし、碁将棋の話でもいい。しかし第一条件は、それが危険なことである。

 危険であるから、取扱には微妙な注意が要り、取扱の技術はますます専門的になり、おいそれと手も出せないものになる。作家にとって、技術とは要するに言葉だから、ここに必然的に文体の問題が生じる。純文学の文体とは、おそろしい爆発物をつまみ上げるピンセットみたいなもので、その銀いろに光る繊細な器具の先端まで、扱う人の神経がピリピリと行き届いていなければならぬ。 (「純文学とは?」その他)

 文学は本質的に危険なものです。

 自分の足場を破壊する。

 自分の主張を温かく包み込んでくれるものではなく、作家の目を通して捉えた世界をそのまま見せつける。

 三島は言います。

 私が文弱の徒に最も警戒を与えたいと思うのは、ほんとうの文学の与える危険である。ほんとうの文学は、人間というものがいかにおそろしい宿命に満ちたものであるかを、何ら歯に衣着せずにズバズバと見せてくれる。しかしそれを遊園地のお化け屋敷の見せもののように、人をおどかすおそろしいトリックで教えるのではなしに、世にも美しい文章や、心をとろかすような魅力に満ちた描写を通して、この人生には何もなく人間性の底には救いがたい悪が潜んでいることを教えてくれるのである。そして文学はよいものであればあるほど人間は救われないということを丹念にしつこく教えてくれるのである。 (「若きサムライのための精神講話」)

 

〈第9回「理由は聞くな、本を読め」につづく〉

 

著者略歴

適菜 収(てきな・おさむ)

1975年山梨県生まれ。作家。哲学者。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』、『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、『日本を救うC層の研究』(講談社)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、中野剛志・中野信子との共著『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』(文春新書)など著書多数。