新年度が始まり、新しい学校やクラス、友達、そして先生など多くの変化が起きた方も多いのではないでしょうか。そのなかでも自分のお子さんにとって一番気になるのは、1日の大半を過ごす学校生活で接する「先生」ですよね。
子どもには「いい」先生を……と思う保護者たちの思惑を踏まえたうえで、世間が求める教師像と、教師の実像について、諏訪哲二氏にお話を伺いました。

教師の役割と学校の役割
 

 

 子どもは教育を必要とする。生まれた共同体(社会)の文化や宗教や習俗や生活様式をまず身につけなければならない。こういう人間社会に必要な文化やマナーやルールは、子どもが自ら望み、かつ、選んで学ぶわけではない。その内容や教育の方法はその国(地域)の社会のありようによってすでに決められているからである。子どもはその社会に合うように創られ、自己形成するのであり、それが教育の根底である。
 個性の実現とか「自分探し」とか幸福の実現とか語られる教育のうるわしき目標は、その子がまずその社会に適応できるちからを身につけた上で追求されるべきものである。社会的人間(「近代的な個人」)としての基礎を身につけないで、個性や独自性を語っても空疎なだけである。

 教育はまず社会的人間としての知的・身体的の基礎を身につけることであり、その子ども(生徒)が自らの個性や独自性を発展させていくことは、学校の教育力によるというよりは、自らの生命力、成長力によるものであろう。そこは教育の管理下ではない。学校が終わっても、ひとは成長していかなければならない。
 日本では教育学がいいかげんなので、この二つのプロセスが混同して論じられているのだ。人間の基礎を創ることと、その個が自分を拓いて自己実現していくこととは別である。前者は明らかに教育だが、後者は一人ひとりの能力や意欲にかかわっている。前者は強制だが、後者は自分で決めることである。つまり、ひとがひと(「社会的な個人」)になるために身につけなければならない「知」や技術や生活様式はまず押しつけられるのである。