おやつではなく、肥料だった「いわし」

江戸時代の食の流通で面白いのは、江戸と大坂を比べても江戸の人口が図抜けていましたから、物流は大坂から江戸への一方通行だったことです。

河内の木綿・竜野の醤油・灘の酒といった、上方で生産される日常必需品は品質も良く、「下り物」と呼ばれて珍重されました。

こうした中で、江戸から大坂に運ばれた唯一と言っても良い商品があるのです。

九十九里産の「干鰯(ほしか)」です。鰯の煮干は子どものおやつではなく、畿内地方で行われていた菜種・木綿などの商品作物の栽培に肥料として用いられていました。

大坂から「下り物」を運んできた菱垣廻船や樽廻船は、干鰯をたくさん積んで帰っていったのです。

現代もみりん干しなどで食卓に並ぶ()()は、江戸時代には油粕や米ぬかのような上質な肥料として、江戸の産業を支えていました。

 

 

 

<『東大の日本史「超」講義』(相澤理)より一部抜粋>