夜這いが原因で起きた江戸時代の殺人事件

イラスト:フォトライブラリー

夜這いは一般に農山漁村の習俗と考えられているが、江戸時代は都会でも珍しいことではなかった。と言うのは、当時は武家屋敷であれ大きな商家であれ、男女の奉公人は住み込みが原則だった。しかも、当時の木造建築は部屋と部屋の仕切りは襖であり、部屋と廊下の仕切りは障子だった。鍵もかからない。図々しい男には、夜這いをしようと思えば簡単に実行できる住環境だった。

『事々録』によると、弘化2年(1845)10月、番町の旗本川路家の息子が夜、下女の部屋に忍び込んだ。下女は夜這いの相手が主人の息子とは知らず、下男のひとりと思っているから、
「なにすんだい」
と、思い切り蹴りつけた。たまたま足が睾丸を直撃した。打ち所が悪かったのか、息子は悶絶して死亡した。

『藤岡屋日記』には安政3年(1856)におきた、夜這いに端を発する惨劇が記されている。北町奉行所の与力尾崎三蔵の屋敷では下男ふたり、下女ふたりを雇っていた。下男たちは毎晩のように下女に夜這いをかけていたが、そのうち関係がややこしくなってきた。8月、下男の清蔵は逆上して刀を持ち出し、もうひとりの下男と下女ふたりに斬りつけ、そのまま逃亡した。下男は即死、下女ふたりは重症だった。その後、清蔵はあえなく捕らえられた。年増の下女は傷が癒えて命は取りとめたが、若い下女は傷がもとで死んだ。9月、清蔵は死罪に処された。

ひとつ屋根の下に男と女が寝泊りしていれば、なにがあってもおかしくはない。上記のふたつの夜這いは、たまたま殺人事件に発展したため世間の噂になり、記録された。つまり氷山の一角である。風儀が厳格なはずの武家屋敷でも夜這いは横行していた。いわんや商家においてをやである。