イラスト:フォトライブラリー

江戸には岡場所と呼ばれる遊里があちこちにあった。公許の遊廓である吉原に対し、岡場所は非合法だったが、実際は公然と営業していた。岡場所の女郎屋は手軽な四六見世(しろくみせ)が主流で、揚代(料金)は昼間は600文、夜は400文だった。昼間のほうが夜より高いわけで、現代人の感覚からすると奇異である。現在、ラブホテルは平日の昼間は「フリータイム」と称して料金を割引している。風俗店も夕方までは料金を割安に設定しているところが多い。客の少ない時間帯は低料金にすることで来客を増やそうというわけで、市場原理の結果といってよかろう。

ところが、江戸の「風俗店」は現代とは逆だった。一見すると市場原理に反しているかのようだが、当時の事情を知ると納得できる。

参勤交代で江戸に出てきて、およそ1年間を藩邸の長屋で暮らす勤番武士はほとんどが単身赴任だった。基本的に女に飢えており、女郎買いに行きたくてたまらないが、大名屋敷の門限はきびしく表門は暮六ツ(日没)に閉じられる。そのため、勤番武士が女郎買いをするのは非番の日の昼間にかぎられた。岡場所に行く勤番武士には、「夜のほうが安いから、日が暮れてから出かけよう」などという選択はできなかった。

また、大店は奉公人として多くの独身の男をかかえていたが、彼らは住込みが原則だった。女郎買いをしたくてたまらないが、主人や番頭の目が光っていて夜遊びはむずかしい。そのため商家の奉公人も昼間、商用で外出した機会などを利用して岡場所で手軽な女郎買いをした。この結果、岡場所の四六見世は昼間でも客が多かった。

勤番武士や商家の奉公人という大きな需要に柔軟に対応していたのだとすれば、江戸の風俗店も市場原理にのっとった価格設定をしていたことになろう。

ただし、吉原の場合は昼間は閑散としており、日が暮れてからにぎわった。余裕のある男が泊りがけの遊興をしたからである。その意味でも、吉原は別格だった。