1974年からテレビアニメで放映され、その後、全国的なブームを巻き起こした「宇宙戦艦ヤマト」。そのヒットを受けて、1979年から放映された「機動戦士ガンダム」シリーズ。漫画家・山田玲司が読み解く、両者の背景にある時代と人々の気分とは?

・ガンダム世代は戦うことにうんざりしていた

イラスト/山田玲司

「宇宙戦艦ヤマト」が現れた1974年は「暗い時代」だった。
 大混乱の60年代後半が終わり、学生運動は何の変革も起こせないまま「大阪万博」に飲み込まれ、オイルショックが襲いかかった。まだ、多くの人の中には「あの戦争(太平洋戦争)は何だったんだ」という思いがあった。
 そこに、朽ち果てたかつての(日本最強の)戦艦が、最新のテクノロジーで蘇り、地球全体を救う旅に出る、という物語として「宇宙戦艦ヤマト」は生まれ、多くの人の「やるせない気分」を癒やしたわけだ。
 ところが「ガンダム」は、そんな戦争とか革命なんかうんざりで、できるなら女の子と遊んでいたい、という気分が蔓延しだした80年代の空気を見事にとらえていた。
 ガンダムの戦艦・ホワイトベースには基本的に「戦う大人」がいない。上の世代は無能でいらない存在だ、という雰囲気で話が進む。
 ヤマトの主人公が積極的に戦闘に参加したがるのに対して、ガンダムの主人公は戦闘を嫌がる。選ばれた能力(ニュータイプと呼ばれる特別な存在)があるのにも関わらず、最新兵器のガンダムを勝手に使って家出まがいの脱走までしてしまうのだ。
 この「俺は戦いたくなんかないんだよ」というノリは90年代の「エヴァンゲリオン」から「進撃の巨人」まで続いていく。大げさに言えば「みんなのために死のう」という戦中精神を刷り込まれているのが、「ヤマト世代」で、「本当は戦いたくなんかないんだよ!」という精神が「ガンダム世代」にある、というわけだ。

・「生まれながらに特別」だから努力に意味なんかない

「ヤマト公開」と「ガンダム登場」の間の1978年には、あの「スター・ウォーズ」が日本で初上映されているのだ。
 スター・ウォーズでは「ジェダイ」という、後の80年代以降のカルチャーに決定的な影響を与える概念が登場する。
 それは「(本当は)自分は選ばれた人間だ」という意識だ。「ジェダイの騎士」は、自分は人と同じ「平凡な人間」だと思っていた若者が、実は「どこかの国の王子」だったとか「伝説の騎士の息子」だった、という昔話のパターンをより洗練させたものに見える。
 70年代「ヤマト」の古代進は、優秀なパイロットだった兄を持つが、それ以上の「特別さ」は持っていない。
 ところが、スター・ウォーズが現れてからは、誰もが「生まれながらに特別」という意識を持つ時代に変わっていった。この時から「勝つ根拠」は「自分があらかじめ選ばれた人間だったから」というものになる。

 80年代は、普通の人が「自分は特別」と思い込んだ時代の始まりだったのだ。
 これはそれまでの「巨人の星」や「あしたのジョー」のような「スポ根」が、その努力に根拠があったのとは大きく違う。つまり「生まれ(家柄やDNA)」で決まってしまうということで、これは実家が金持ちだから自分は「勝ち」という、どうにもならない現実を正面から肯定してしまうことになる。
 そもそも「親が金持ち」という子供は、かつては「嫌なヤツ」とされていた。「金持ちの子供は努力もせずに金持ちになる」というのが許せない空気があり、ドラえもんの「スネ夫」や巨人の星の「花形満」のように、親の財力で偉そうにしているキャラクターは、どこかバカにされる存在だった。
「親」は助けるべき存在で、自分は犠牲になっても平気な若者が普通にいたのだ。そんな「清貧」の時代から、「親が金持ちで何が悪い?」という80年代的空気の変化がこのあたりで起きている。
 こうして「努力」は意味のないものとされ、選ばれし「ニュータイプ」のアムロ・レイが登場するのだ。