毛利元就肖像画(東京大学史料編纂所所蔵模写)

 

謀略を駆使して、弱小領主から一代で中国地方を制覇した毛利元就。その死に際に、3人の息子に語ったとされる「3本の矢」の逸話は後世の創作とされるが、その遺訓には明治維新まで続く毛利家を守った「知恵」が秘められていた――。

 

また元就は重臣たちにも数々の遺訓を残した。

驕奢(きょうしゃ)の心をなくし、私欲を離れよ。新知を加増する際は公平を期せ。有能な士を推挙せよ。主君に悪心が生じたならば諌止(かんし)を忘れるな、など。

この元就の精神を守って、孫の輝元はその初政において、政務に携わる者の心得を、年寄・奉行衆に申し渡している。

ここでは、親子・縁類であっても公正であらねばならず、事を迅速かつ責任をもって行い、人から憎まれても一命を惜しまず、公儀のために尽くすことが強調されて、元就の精神が生かされている。

そして元就の珠玉の言葉に「百万一心」がある。

これは、郡山城の拡張工事をする際、人柱が必要だとして、巡礼の少女が選ばれた。しかし元就は人柱を好まず、巡礼の少女に代えて、「百万一心」と刻んだ石を埋めさせた。“百万一心”の字を分解すると“一日一力一心”となる。皆が日々、力を合わせ、心を一つにして築城にあたれば、何も恐れるものはないという意味である(注)。

このように人の和と団結を、元就はあくことなく求め続けた戦国の武将だったのである。

(続く)

 

注/文化13年(1816)、郡山城姫の丸で長州藩士が石碑を発見。拓本の要領で写しを取ったが、その後実物は認められておらず「郡山城最大の謎」とされる。

 

文/楠戸義昭(くすど よしあき)

1940年和歌山県生まれ。毎日新聞社学芸部編集委員を経て、歴史作家に。主な著書に『戦国武将名言録』(PHP文庫)、『戦国名将・知将・梟将の至言』(学研M文庫)、『女たちの戦国』(アスキー新書)など多数。