福岡県に多い河童に関する伝説の数々。それはなぜか? 古代からアジアの玄関口であり、いまなお歴史の舞台となり続ける福岡の通史が楽しめる『福岡 地名の謎と歴史を訪ねて』を上梓した歴史研究家の一坂太郎氏に聞いてみた。
当仁小学校そばにある河童の石像(写真:一坂太郎)

◆筑後川に住みついたユニークな妖怪

 日本人に最も親しまれている妖怪である河童のルーツは、中国の水神「水虎」との説がある。あるいは、大陸から日本に渡って来た川や海の民がその正体ともいう。

 福岡県をはじめ九州北部は「河童伝説」の宝庫だが、それにつき次のような話がある。

 現在の熊本県八千代市の球磨川に住み着いた河童の一族は九千匹もいて、「九千坊」と呼ばれていた。ところがある時、熊本城主加藤清正の怒りを買い、球磨川を追い出されてしまう。河童たちは北上して筑後川に移ったというのだ。

 筑後川はかつて、洪水を繰り返して百姓を苦しめた暴れ川だ。それを治めていたのが、久留米の水天宮である。河童は水天宮を守り、百姓を守る役目を担ったという。

 筑後川の左岸に位置する久留米市田主丸町は、JR田主丸駅の駅舎までが河童の顔をかたどっているから凄い。田主丸ふるさと会館(田主丸町田主丸)には河童伝説にかんする資料が展示されているし、町の各所で河童のオブジェなどを見ることが出来る。

 福岡市では繁華街の天神の地下街と福岡パルコ地下一階を結ぶエスカレーター脇に、「天神かっぱの泉」があり、親しまれている。斜面を流れる水の中に、さまざまな動きをする数匹の河童の像が置かれていて微笑ましい。福岡市中央区の当仁小学校の傍らには、漫画チックな三匹の親子河童の石像が置かれていている。これは、近くの百道(ももち)浜沖で漁をしていた漁師の酒を飲んでしまった河童が、お詫びに今後不漁の時は魚を持って来ると約束したとの伝説にちなむ。

 福岡市西区の姪浜住吉神社には、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が波が荒れて禊が出来ず困っていたのを、河童が助けたとの伝説がある。そのため境内には、河童像が置かれている。

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