6月3日、東郷平八郎司令長官は秋山真之ら幕僚を連れ、ロジェストウェンスキー中将を見舞った。東郷が敬意をもっていたわると、ロジェストウェンスキーは「敗れた相手が閣下であったことが最大の慰めです」と慇懃に答えた。

 日本海海戦を機にアメリカのルーズベルト大統領は日露両国に講和を提議し、8月9日からポーツマスで講和交渉が始まった。一時は決裂寸前となったが、9月5日、日露講和条約が締結された。

 10月21日、東郷は連合艦隊の司令官や参謀らを旗艦「朝日」(「三笠」は9月11日、火薬庫の爆発事故で沈没。のちに引き揚げられる)に集め、解散式を行った。東郷は秋山が起草した「連合艦隊解散ノ辞」を読みあげた。

「連合艦隊はここに解散することになった。しかし海軍軍人の責務はけっして軽減するものではない。この戦役の収果を永遠に生かし、ますます国運の隆昌を保つには平時、戦時を問わずその武力を保全し、いざというときに対応できる覚悟がなくてはならない。武力といっても艦船兵器のみにあるのではなく、これを活用する無形の実力にある。百発百中の一砲は百発一中の敵砲に対抗し得ることを覚えれば、軍人は武力を形而上に求める必要はない…」(要旨)

最後に「古人曰く、勝(っ)て兜の緒を締めよと」と締めくくった。

 ルーズベルト大統領はこの訓示に感銘し、英訳文を将兵に配布させた。

 東郷平八郎の名は世界的に知られ、特にロシアの支配下に置かれてきたフィンランドやロシアと敵対するトルコなどでは英雄としてもてはやされた。

 その後、東郷は海軍閥に利用されたり、国民に連合艦隊の不敗神話のようなものが広がったりと、必ずしも彼の理念が伝えられなかったとの指摘がある。

 むしろアメリカでは太平洋戦争で司令官として日本と戦うニミッツ(のちに元帥)など多くの軍人が東郷を尊敬し、その精神を受け継いだと言われる。

 日本は日露戦争後、アメリカを仮想敵国として軍備拡張をはかり、太平洋戦争への道筋を歩むことになる。