珊瑚海海戦は1942年(昭和17)5月7日、8日両日、日米の航空母艦同士が戦った戦闘であり、太平洋戦争の天王山ともいうべきミッドウェー海戦の1カ月前に生起したために見落とされがちだが、史上初の“たがいに視界内に相手を入れない”水上艦艇同士の対決として、戦史に特記されるべき戦闘である。

 従来は主力艦同士の艦隊決戦が海戦史の常道であったが、真珠湾奇襲作戦で航空母艦の集中使用という革命的戦術を編み出した日本海軍が、珊瑚海洋上でも初の近代的空母戦闘の幕開けをした。英国歴史家の権威リデル・ハート卿もこの海戦を評価して、「史上初の海戦であり、戦艦の場合の約20マイルが限度の間隔を100マイルないしそれ以上に拡げて戦われた」画期的な戦闘として、名著『第二次世界大戦』に特記している。

 日本側指揮官は、第4艦隊司令長官井上成美中将。仙台生まれの東北人で、旧幕府直参の侍の子として育ち、仙台藩士の名家出身の母との間で厳格な教育を受けた。52歳。

 海軍兵学校、海軍大学校とトップの成績で卒業し、主に海軍省のエリート街道を駆け抜けた。頭が良く怜悧で、弁が立ち、舌鋒鋭く相手をやっつけて容赦がない。理論家で歯に衣を着せぬ物言いだから、相手も反論できずに立往生することもしばしばである。前任は海軍航空本部長だが、赤レンガ組のトップ軍務局長時代(昭和1214)、米内光政海相―山本五十六次官―井上軍務局長の海軍左派トリオで三国間同盟反対、対米平和路線を強力に推し進めた。