新幹線の「すごい!」を集めた新刊『新幹線はすごい』より、今回は意外な計画のお話をご紹介します。

 昭和50(1975)年3月10日、山陽新幹線は博多への延伸開業を果たし、東海道・山陽新幹線の延伸計画はひとつの到達点に辿り着きました。それは東海道新幹線の開業から11年目のこと。東京〜博多間は1174・9営業キロ。

 最速の「ひかり」は6時間56分で全線を走破しました。

国分寺市の「ひかりプラザ」で保存されている951 形。昭和47( 1972 )年に時速286キロを樹立。正面から見ると意外にもキュートな顔で、地元の人々に長く愛されている。

 走行距離が延びたことで列車の運転時間も長くなり、新幹線の運行スタイルにも変化が生じます。そのひとつが食堂車の登場です。

 それまで新幹線には軽食と飲み物が提供されるビュフェしか連結されていませんでしたが、新幹線の博多延伸に合わせて本格的な食堂車が製作され、博多延伸よりもひと足早く営業が開始されています。

 そしてもうひとつ、新しい列車として計画されたのが夜行列車の運転でした。東京〜博多間の所要時間は、先に記したように7時間弱。これであれば、夜行列車の運転が可能になります。

 座席に座っているだけの7時間は長いものですが、夜行列車であれば、仮に始発駅を23時に出発したなら終着駅への到着は6時となり、価値のある運転となります。

 新幹線での夜行列車運転の計画は、車両の設計も始められ、順調に進んだかに見えました。

しかし、問題が生ます。

日中に高密度の運転を行う新幹線は、線路の保守・点検を列車の運転が終了した深夜帯に行うのですが、夜行列車が運転された場合には、本線を単線の扱いとして交互に使用し、使用しない側の線路の保守・点検を行わなければなりません。

 しかし新幹線には、ひとつの線路を上下両方向に使うためのポイントが設けられていなかったのです。

 このポイントの設置には、工事に大変な手間がかかることと、信号施設について大幅な変更が必要とされることも判明しました。

 結局、新幹線での夜行列車の運転は実現しませんでした。もし、いち早く施設の改良が行われ、信号についても改良案が早い段階で見つけられていたのなら、東京〜博多間を走る「夜行新幹線」が運転され、その後の日本の鉄道の運輸体系は大きく変貌していたかもしれません。

 しかし、これは見果てぬ夢のまま終わりました。

 現代の東海道・山陽新幹線は、最高時速300キロ運転を実施し、東京〜博多間の所要時間は4時間53分。

 これであれば、夜行列車の運転は必要ないでしょう。

写真:斉木実