だが、好事魔多し。海軍の主流は軍令部総長伏見宮をトップに洋上経験の多彩な艦隊派の面々で占められ、同じ東北米沢出身の艦隊派の筆頭、南雲忠一あたりがドイツとの同盟を主張して逆に井上にやりこめられ、口惜しさのあまり「井上の馬鹿! 貴様なんか殺すのは何でもないんだぞ」と酒に酔ってねめつけたことがある。

 海軍左派の3人が、欧州戦線で破竹の進撃をつづけるドイツの戦勝に目が眩んだ艦隊派によって海軍省を追われたのは、周知の通り。井上は南洋群島を防備するトラック島の第4艦隊司令部に左遷され、旧式巡洋艦鹿島を旗艦として陸上の長官宿舎を往来する退屈な日々を送ることになった。

 それでも井上は武人肌の将官として、折り目正しく厳格な勤務ぶりで司令部に君臨した。風雅を尊ぶ性格もあり、夏島の宿舎では茶道をたしなみ、部下を集めてピアノの演奏を披露したりした。異色なのは母親の影響で、琴が弾けたことである。

 南雲忠一中将が主力空母6隻をひきいてハワイ作戦を成功させ、一躍脚光をあびると、逆に理論家“カミソリ井上”は戦場では重用されなくなった。ところが、予期せぬことに日米開戦をひかえて内南洋が戦略重要拠点として浮上し、第4艦隊は兵力強化。基地航空部隊(千歳航空隊、横浜航空隊)も指揮する一大勢力となった。