知られざる由来、隠されたエピソード、甲冑の見どころまで。甲冑研究家の伊澤昭二氏が門外不出!?の秘蔵コレクションをはじめ、全国に伝わる名将たちの甲冑を徹底解剖!

 
 
黒漆塗網代製軍配団扇 森蘭丸所用 伊澤家所蔵

軍配(ぐんぱい)は戦場での指揮に用いる武具の一種で、軍配団扇(ぐんぱいうちわ)・采配(さいはい)・指揮棒などがある。室町時代後期頃より合戦形態が集団戦となったため、口頭では命令が聞き取りにくくなり、軍配などが使用されるようになった。

『軍用記』第五に「団扇の事 団扇と書きてまろき扇とよむ、形まろき故なり、(略)貞丈曰く軍配団扇というものは太平記以来の古き戦物かたりの書に会て見えず甲陽軍艦には見えたり然れば信玄謙信の頃より始まりしなるべし(略)」とあり、これによると軍配は室町時代も末期以降より使用されていたことがうかがえる。

軍配の材質には、鉄・竹・木・藤・革・麻・和紙・布などが見られる。また、漆・金箔・銀箔なども用いている。この軍配団扇は、森蘭丸(もりらんまる)所用 金箔押色々威胴丸具足(きんぱくおしいろいろおどしどうまるぐそく)に付属するものである。竹を網代(あじろ)編にして和紙を張り、黒漆塗としたもので、表面を森家の定紋鶴丸を銀箔で描き、裏面には石畳地(いしめぢ)模様を金箔押としている。

石畳地模様は江戸時代に入り市松模様として親しまれる。それは江戸時代の歌舞伎役者、佐野川市松が用いた袴の模様(白と黒との四角形を互い違いに並べた)で人気を博し、いつしかこの模様を“市松模様”と呼ぶようになったというわけである。

桃山時代の軍配団扇の現存遺品は極めて少なく、片倉小十郎所用(仙台市博物館蔵)・徳川家康所用(伊勢神宮徴古館蔵)のみである。蘭丸が岩村城5万石の城主となった時期に作られたか興味深い。気品と優雅さを合わせ持った軍配団扇である。

※ 森蘭丸……美濃兼山(みのかねやま)城主、森可成(もりよしなり)の三男として 兼山城で生まれている。若くして織田信長に仕え、筆頭小姓となる。天正10年(1582)には、 岩村城5万石の城主となるが、 わずか1か月後の6月2日未明、 京都本能寺において主君・信長とともに、明智光秀によって討ち死にを遂げている。

文・伊澤昭二(歴史・甲冑研究家)