兵力は空母レキシントンとヨークタウンの2隻。他に巡洋艦8、駆逐艦13、油槽艦2隻の計25隻。母艦部隊の指揮をとるのはオーブレイ・W・フィッチ少将。2人はアナポリス海軍兵学校の同期生だが、フィッチ少将は空母の艦長を3度つとめ、母艦部隊の指揮官の経験もあるベテランである。だが、権限をもつ上級者は“戦艦の艦橋しか知らない”同期生フレッチャーであった。

 古来、戦闘は錯誤と失敗の連続といわれるが、海戦の前日、両空母部隊はたがいに90カイリ(167キロ)―飛行時間にして30分の近距離―にありながら、日本側は索敵機を発進させなかったために相手空母を発見できなかった。原少将は空母への燃料補給で、フレッチャー少将も慎重な性格を発揮して終日、油樽艦からの燃料補給に時間を費やした。

 翌7日朝、日本側索敵機は「敵空母発見!」を報じたが、これは米空母から分離したタンカーの誤認。米側も同様に祥鳳部隊を主力空母部隊と誤報。たがいに全力攻撃に踏み切ったが、いずれも目的を達せず、米攻撃隊は犠牲の祥鳳を“なぶり殺し”にした。同艦沈没。同日夕刻、原少将は功をあせったあげく薄暮攻撃隊30機をはなったが、戦闘機の護衛をつけなかったためにレーダー装備で待ち受けていた米軍機によって大被害を出した(艦攻9機喪失)。

 8日の海戦当日、日本側は米空母レキシントン撃沈、ヨークタウン大破の戦果をあげ、米側は翔鶴中破で引き返した。この局面では初の母艦対決で日本側の一方的勝利だが、ラバウル基地にあって采配を振るった井上中将の評価は最低のものとなった。早々と船団を反転させ、討ちもらした米空母部隊の追撃命令を出さなかったことが退嬰的と見なされたのだ。