新選組が産声を上げ、その全盛期に活躍の舞台となり、不逞浪士たちを震え上がらせた京都。今も多くの人が訪れ、蒼き狼たちを偲んでいる。ここではありし日の新選組を確かに感じられる場所を厳選。その足跡をたどってみたい。

新選組最大の粛清劇の舞台も今は多くの車が行き交う

 

 JR京都駅前の塩小路通を西へ向かい徒歩10分。油小路通に面した不動堂明王院の付近が、不動堂村屯所の跡地だ。

 当時の建物が残る壬生や西本願寺の屯所と違い、その跡地すらはっきりとしていない。使用された期間がわずか半年だったこともあり「幻の屯所」ともいわれる。京都駅付近にあった洛中と洛外を隔てる御土居のすぐ内側にあり、明治に入って付近が鉄道敷設の用地に利用されたことなどから、その跡地が不明確になってしまった。ただし、今の堀川通と油小路通に挟まれた木津屋橋通の南側に位置していたようだ。

 当時の醒ヶ井通(現・堀川通)には、おそらく屯所に隣接して近藤勇の休息所があったという。あの日、酒を過ごして休息所を辞した伊東の足取りをたどってみよう。

 堀川通を北へ、木津屋橋通で東に進むと、やがて油小路通と交わる。新選組の襲撃を受けたのは、その手前だった。この間わずか数百m。重傷を負った伊東は、今も油小路通で住宅の間に山門を覗かせる本光寺前で絶命した。

 伊東の遺体は、新選組の手によってそのまま油小路通を北上、七条通と油小路通との辻に放置された。新選組最大の粛清劇が繰り広げられた交差点には、今は多く車が行き交っている。