致命的なのは、はやばやと攻略作戦の延期を決定し、これが海軍中枢の逆鱗にふれた。戦況奏上のさいに天皇までも、「井上は戦がうまくないね」と発言したことが決定的となった。井上中将は、なぜ、反転命令を出したのか―。

「攻撃ヲ止メ北上セヨ」―。

 この1通の電文には複雑な背景がある。同艦隊航空参謀土肥一夫少佐は、5航戦司令部に対して追撃命令を書いたことを後に証言している。

「―攻撃ヲ続行シ残敵ヲ殲滅スベシ」と。少佐が、この文に川井参謀、矢野参謀長のサインをもらい井上長官のところへ行くと、「君、これ間に合うかね」と問われたという。「間に合います」と答え電信室にまわした5~10分後、第5戦隊司令部の高木中将から電報が届く。「兵力整頓竝ニ緊急補給ノ上改メテ攻撃ヲ再興セントス」―。これを見て土肥参謀は、5航戦の両空母が30分も前に北上を開始したことを知り、追撃命令の発信を止めさせた。井上も土肥参謀の報告を受け、追撃命令を中止。実効性がないうえ、現場を混乱させると判断したからだ。

 すでに現場離脱した原少将の実戦采配を尊重したのは、猪突猛進型ではない井上らしい判断だろう。

 後の井上長官の私稿などを見ると、もとより原少将からの報告は、それほど頻繁になされてはいなかったことがうかがえる。あわせて戦時の電信事情では、井上長官は戦況を詳細に把握できていたとはとても考えられない。

 井上の合理主義は、合戦の指揮は現地空母部隊指揮官に委ねる、ある意味では大胆なものであったが、艦隊派首脳の痛罵はいや増すばかり。結局、井上は第1線部隊を追われ、海軍兵学校校長へ。

 校長時代、禁止されていた英語教育を復活させ、戦後を見すえた生徒教育に専心。これらの教育方針によって、海軍での井上成美の業績は戦後になって、一転して高く評価されることになった。やはり、この将官は海上よりも陸上が似つかわしかったのかも知れない。