現在発売中の歴史人別冊「大江戸武士の暮らし大全」を斜め読みで紹介!

徳川幕府300年の中心地だった江戸の主は間違いなく武士であった。そこには、50万人近い武士とその奉公人が住み、将軍を頂点とする厳格な体制を維持していた。参勤交代の制度化により江戸勤番の地方武士も多く、ほぼ日本全国の武士がそこに集結した。大名、旗本・御家人、江戸勤番の藩士たちは、果たしてどのような暮らしをしていたのか。武士の階級と仕事から給料や食事、武士独特の言葉、武家屋敷の構造、切腹の方法まで。ベールに包まれた大江戸武士たちの実像に迫る。

大名の身分と暮らしを徹底解剖
家格によって待遇に大きな差!大大名でも外様は役職につけず
「大名」とは、将軍に直接仕える直臣のうち、1万石以上の知行を持つ者のことを指す。たとえ1万石以上の知行を持っていても、大名の家臣は「陪臣」であり、大名ではない。また直臣の中でも知行が1万石未満で将軍に謁見が許されていた御目見得以上の者を「旗本」、御目見得以下の者を「御家人」と呼んだ。

大名にも様々な格式があり、家格によってその待遇に大きな差があった。大名の中でも最も格式が高かった「御三家」には、徳川家康の九男義直が興した「尾張藩」、10男頼宣が興した「紀州藩」、11男頼房が興した「水戸藩」があり、将軍家に継嗣がない場合はこの三家の中から将軍が選ばれた。8代将軍吉宗、14代将軍家茂は紀州藩から宗家を継いでいる。

その吉宗の子や孫によって立てられたのが「御三卿」である。次男宗武の「田安家」、4男宗尹の「一橋家」、長男家重(9代将軍)の次男重好の「清水家」があり、各10万石の所領を与えられていた。家名はいずれも江戸城の門の名から取られている。御三卿は将軍家の家族という位置づけで、御三家と同じく血統の保持という役割を担っていた。11代将軍家斉は一橋家の出身。また15代将軍慶喜は水戸家から一橋家の養子に入り将軍職を継いでいる。

続きは歴史人別冊「大江戸武士の暮らし大全」を御覧ください。
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下級武士の食生活の実態
家族持ちほど自給率が高く独身者は賄い屋などを活用

江戸時代は「士農工商」の身分制度があり、武士はトップであったが、下級武士の場合、給料が低いせいも有り、生活は楽ではなかった。

御家人や足軽クラスの場合、庭先の狭い土地を活かして野菜を作り、みそ汁の実や漬物用にし、味噌も器用に手作りしてしまう。梅や柿なども植え、実をつけるのを楽しみにするなど、家族持ちほど自給率の高い生活をしていた。基本は一汁一菜で、米の飯にみそ汁、つけもの、それに焼きイワシ・買ってくるものといえば魚と茶葉、時々安酒くらいなもの。

江戸の町は住むには便利で、朝夕、豆腐とか納豆、煮豆といった四文位の安価な食べ物を商う、棒手振りがやってきた。手軽に利用できるおかず屋もあり、体裁を気にしなければ、意外に暮らしやすいのが江戸の町。賄い屋もあって、一汁一菜の弁当なども運んでくれた。独身者にはありがたい土地だった。

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