米海軍は事前に「東京急行」(日本駆逐艦部隊の米海軍の呼び名)の情報を入手。レーダー装備で田中水雷艦隊を発見。魚雷戦、砲戦の口火を先に切っていたにもかかわらず、夜戦にきたえぬかれた日本駆逐艦群の果敢な反撃により、水泡の見えない、長大な航続距離を誇る「酸素魚雷」(九三式魚雷)の強力な破壊力の犠牲となった。

 ニューオリンズとミネアポリスは艦首部分を吹き飛ばされ、ペンサコラは機関室と3基の砲塔部分を叩きつぶされ、全艦火だるまと化した。傷ついた重巡3隻はツラギ港に回港され、夜陰にまぎれてひそかに真珠湾、あるいは米本土に修理のため送られた。これら3艦は戦線復帰までは丸1年の歳月を要している。

 日米両指揮官の勝敗の別れ道は、田中頼三少将が目的を単純化したこと――会敵より1分後にドラム缶投下の「揚陸止メ、全軍突撃セヨ」と即断したことにある。各駆逐艦長は勇躍して突撃態勢にはいり、甲板のドラム缶200~240個を海中投下。夜戦にきたえぬかれた砲員は砲塔に飛びこみ、魚雷員は発射管に取りついた。

 ドラム缶を捨て、突撃命令を出す前、田中司令官は1分間考え込んだという。魚雷が迫りくる、この戦下での1分間は短くない。沈黙の1分間に、田中司令官は何を考えたのか―自分たちの救援を待つガ島の将兵たちのことを思ったかもしれない。