イラスト/フォトライブラリー

漫画やテレビドラマなどを通じて、ほとんどの人がストーリーや登場人物はおおよそ知っているが、実際に原作を読んだ人は皆無に近い――そんな有名な古典がある。

滝沢馬琴の『八犬伝(南総里見八犬伝)』は、まさにその好例かもしれない。じつは筆者もそのひとりで、途中で挫折し、まだ通読したことはない。さて、『八犬伝』の発端はいわば常識であろうが、あらためて確認しよう。

里見城主の冗談がきっかけで、娘の伏姫と飼犬の八房は山中の洞窟で暮らすことになった。やがて霊気に感応して伏姫が妊娠する。この怪奇譚で長大な伝奇小説の幕が開く。

筆者は子供のころ『八犬伝』のダイジェスト本を読み、冒頭の怪奇現象にワイセツな想像をした。つまり、獣姦を連想したのである。もっとも、当時は「獣姦」という性語は知らなかったが。

馬琴はあくまで神秘現象と強調しているのだが、どう考えても人里離れた深山でオス犬と人間の女が一緒に暮らし、やがて女が妊娠したとなれば、そこに淫靡な想像をするのが自然ではなかろうか。

もちろん、子供のころの筆者は自分の想像を口にはしなかった。自分がそんな卑猥な妄想をしたことを恥じたのである。いっぽうで、ほかの人がそんな疑問を話題にしないのが不思議だった。

ところが社会人になったあと、江戸の春画を見て驚いた。『恋のやつふぢ』(歌川国貞、天保8年)に、八房が伏姫と情交している絵があるではないか。体位は、いわゆる犬のかっこう(doggy style)である。

また、『風流武者八契』(歌川国芳)にも八房が伏姫と交わっている絵があった。ここでは男女が対面する体位、いわゆる正常位で交わっており、なんとも「人間的」といおうか。

オス犬と人間の女が交わる図は身も蓋もないといってしまえばそれまでだが、まさに江戸の人々も『八犬伝』に獣姦を連想していた証拠であろう。

筆者はけっして変態少年だったわけではなかった。みな同様な妄想をいだいていた。人前で口にしなかっただけのことである。江戸も現代も、男の性的な妄想はしょせん同じということかもしれない。

なお、伝統的に、わが国は欧米諸国や中央アジアの民族にくらべて獣姦は少なかったと思われる。べつに日本人が「清く正しい」からではない。牧畜の伝統がなかったためである。遊牧民族の男にとって、身近に生活しているヒツジやヤギはまたとない代用だった。