皆様、こんにちは。歴史芸人の長谷川ヨシテルです。
今回は、長野県小諸市にある「小諸城」をご紹介したいと思います。

火山灰に形成された堀底で歓喜する私、長谷川ヨシテル

小諸城と言えば、大人気の歴史漫画『センゴク』の主人公「仙石秀久(せんごくひでひさ)」のお城として有名です。秀久さんは、1590年の「小田原征伐」の時に陣羽織全体に鈴を付けて「鈴鳴り武者」とあだ名を付けられた、数々の無茶をしている魅力的な武将です。

また、最近話題の大河ドラマ『真田丸』でも度々登場しています。特に徳川秀忠(家康の子)が「関ヶ原の戦い」に遅参するきっかけとなった「第二次上田合戦」の際に、秀忠が本陣としたお城としても知られております。

もう少し歴史を遡ってみると、小諸城の縄張りをしたのは武田信玄の軍師「山本勘助(やまもとかんすけ)」だと言われています。お城の中には、勘助さんが愛用した「鏡石(かがみいし)」も残っています。覗いてみると、確かに鏡のように姿が映ります。勘助さんは、見た目がかなり個性的だったと言いますから、鏡を見たときの心境はいかばかりか。

さて、現在の本丸には天守台が残るのみですが、秀久さんによって金箔の瓦を使った豪華な3層の天守が建っていたそうです。この天守台のある本丸へのルートには、勘助さんや秀久さんなどが工夫を凝らした、城を守るためのトラップが仕掛けられています。

まずは、登城道を屈折させることによって、相手の進軍を遅くし、敵が防御しづらい横からの攻撃(横矢掛かり)を仕掛けることができます。さらに、南丸と北丸からは、本丸へ向かう相手を横から、二の丸からは相手の背後から攻撃することが出来るのです。そして、本丸へ掛かる黒門橋は、当時は何と取り外し可能だったそうです。二の丸まで攻め込まれた場合も、この橋を取り外せば本丸だけで相手を迎撃することができたようです。

何より、小諸城の一番の強みは「天然の外堀」です。浅間山の火山灰などが積み重なった場所にあり、城の周りは千曲川や雨水などに長年削られた断崖絶壁になっているのです。場所によっては、深さは30m以上あるとも言われております。こんな崖下から攻め登られることは、まずありません。

自然の力を味方につけ、城内で敵を殲滅でき、いざとなれば本丸で敵を迎撃することもできる小諸城ですが、実は、とある欠点がありました。そのヒントは小諸城の別名「穴城(あなじろ)」にあります。お城と言うと「城下町から坂道を登り、本丸にたどり着く」という様なイメージがあるかと思いますが、小諸城はその逆なのです。全国でも非常に珍しく、城下町よりも低い場所に本丸があるお城なのです。

仙石秀久が現在残るようなお城へと改築したのは、1590年以降と言われています。この時代に使われる武器と言えば、刀、槍、弓矢、鉄砲、そして「大砲」も忘れてはいけません。

【銃砲が使用された主な合戦】
・1575年「長篠の戦い」⇒織田信長が大量に鉄砲を使用し武田勝頼を撃破
・1578年「第二次木津川の戦い」⇒織田信長が鉄砲と共に「大砲」を使い毛利水軍を撃破
・1586年「臼杵城の戦い」⇒大友宗麟が「大砲(国崩し)」を使用し島津軍を撃退
・1614年「大坂冬の陣」⇒徳川軍が大坂城に「大砲」を撃ちこみ和睦へ持ち込ませる
(ここでは「大鉄砲」「大筒」と呼ばれる銃砲も含むことにします)

このように、「大砲」が主要な合戦で大活躍しています。そのような飛び道具が充実している時代に「穴城」は実にヤバいわけです。なぜなら、仮に城下町まで攻め込まれた場合、高い場所から敵にジャンジャン砲撃されてしまうからです。

しかし「大砲の射程距離」は、いかほどなのでしょう。いくら高い所から砲撃したところで、砲弾が城まで届かなければ意味がありません。自然の要害を味方につけた、信州きっての近世城郭の名城・小諸城ですから、抜かりはないはずです。

桐野作人さんの「火縄銃・大筒・騎馬・鉄甲船の威力―戦国最強の兵器図鑑」によると、砲弾の重さで違いはあるものの、大体『2~2.5キロメートル』が射程距離のようです。そして、小諸城の「城下町」から「本丸」への距離を換算すると、大体『430m』! 大砲の射程圏内どころか、砲弾がそのままお城を飛び越えちゃうくらいの距離感でした。

「大砲」に対する防御力が激甘で、「城下町」からガンガン狙い撃ちされちゃう小諸城、これもまた『最弱の城』の1つなのです

 

長谷川ヨシテル プロフィール

1986年埼玉県熊谷市生まれ。県下有数の進学校・熊谷高校から立教大学へ進学後、硬式野球部にも在籍。さらにバイオリン演奏やポケモンも得意など多彩な“歴史芸人”。自称、芸能界で一番戦国時代が好きな「れきしクン」。