「映画に負けない日本一のドラマを作る」を合言葉に誕生し、50年以上もの間放送され続けてきた大河ドラマ。第1作から第55作目までどのような作品があり、どのように茶の間の人々に定着していったのか?
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■映画全盛期の時代に誕生した「大型時代劇」

 東京オリンピック開催の前年、昭和38年(1963)に産声をあげた大河ドラマは、これまでに55作品が制作・放送され、その歴史は半世紀以上にも及ぶ。

 実は「大河ドラマ」と公式に表記されるようになったのは最近のことだ。当初は「大型時代劇」や「大型歴史ドラマ」と呼ばれていたが、第16作『黄金の日日(ひび)』の頃に「大河ドラマ」の呼称が定着。テロップで表示されるようになったのは第41作『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』からである。

 その記念すべき第1作は幕末の大老・井伊直弼(いいなおすけ)の生涯を描いた『花の生涯』であった。舟橋聖一の同名小説を映像化し、歌舞伎俳優の2代目・尾上松緑(おのえしょうろく)が主演(井伊直弼)を務めた。1月開始ではなく4月7日から12月29日までの8カ月、全39回の構成だった。

 当時は映画全盛期の時代。よって「映画を凌駕する」という意気込みとともに銀幕や舞台で活躍する俳優を続々と出演させ、茶の間に登場させることで視聴者を引き付け、人気を獲得していく。

 続く2作目は大佛(おさらぎ)次郎の同名小説を原作とした『赤穂(あこう)浪士』。日本人が大好きな「忠臣蔵」の物語を長編でじっくりと描いたことで評判となり、全話の平均視聴率は31.9%を記録。第47話「討入り」は視聴率53.0%に達した。この数字は今もって最高記録である。

 第3作目『太閤記』は豊臣秀吉の生涯を描いた初の戦国作品だった。織田信長を演じた高橋幸治の助命嘆願が殺到し、「本能寺の変」の回が先延ばしにされるという事態を呼ぶ。こうして大河ドラマは茶の間に定着していった。

 1969年の第7作『天と地と』からカラー作品となり、第8作『樅(もみ)ノ木は残った』ではドラマの舞台地となる仙台ロケが行われた。毎年の舞台、いわゆる「ご当地」に観光客を集め、大河ドラマが地域活性化の原動力を担うようになった原点がここに見出せる。

■第13作までの初期作品の映像は大部分が残っていない

 いまでは信じられない話だが、昭和40年代(1965~70年代はじめ)までは家庭用ビデオデッキが普及しておらず、「録画する」という概念を持つ人は少なかった。それは制作側も同様で、撮影用のテープは非常に高価だったため、その都度使い回されていたのである。よって初期作品は、その多くが部分的にしか残っていない。

 第11作『国盗り物語』(1973)の映像は出演者のひとり杉良太郎(浅井長政役)が個人的に録画し、保管していたという裏話があり、2話分の貴重な映像が、平成27年(2015)にNHKへ寄贈された。その『国盗り物語』の撮影当時、スタジオに大河ドラマのファンでもあった昭和天皇が訪問。出演者たちと親しく言葉を交わされたという。

 歴代作品では最も古い時代の平安中期を舞台にした第14作の『風と雲と虹と』(1976)は全話が現存する最古の作品だ。

 第19作『おんな太閤記』(1981)は橋田壽賀子によるオリジナル脚本を採用。「女性に焦点を当てた形で戦国時代を描きたい」という橋田の希望で豊臣秀吉の妻・ねね(佐久間良子)が主役となった金字塔的な作品である。

 女性が主人公の作品は第5作『三姉妹』(むら=岡田茉莉子)、第17作『草燃える』(北条政子=岩下志麻)を皮切りに計14作品を数える。特に21世紀以降、『利家とまつ』『功名が辻』など急激に増加し、夫婦のみならず単独で主役を張るケースも多い。第50作『江(ごう)〜姫たちの戦国〜』以降は男女1年おきのペースで女性が主演を務めている。21世紀は「女性大河」隆盛の時代ともいえるだろう。

 中でも『篤姫(あつひめ)』(2008)の平均視聴率24.5%は1997年以降の全作品中でもトップを誇る。主演・宮﨑あおいの伸び伸びとした演技を鮮明に記憶されている読者も多いだろう。
 

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