古代中国の史書「魏志倭人伝」に記載されている「卑弥呼」という人物は、『古事記』、『日本書紀』に書かれている誰にあたるのか? 江戸時代から議論が続く古代史最大の謎である。その難問を、戦後考古学の最前線に立ち続けた大塚初重氏が、最新の研究データをもとに解明する。今回が最終回。
箸墓古墳

■卑弥呼と箸墓古墳を結びつける「3つの根拠」まとめ

根拠1:『魏志倭人伝』の記録と箸墓古墳の大きさ、径百余歩=150mの一致
 箸墓古墳後円部の直径は約150m。これは『魏志倭人伝』に記載されている卑弥呼の墓の大きさ「径百余歩」とほぼ一致している。

根拠2:考古学の土器論から見た箸墓古墳の年代=240~260年
 箸墓古墳の出土品は240〜260年頃に作られた布留0式土器(260〜280年頃説もある)と考えられる。

根拠3:放射線炭素14年代測定法調査による箸墓古墳の年代=240~260年
 布留0式の土器に付着した炭化物など約20点を、放射性炭素14年代測定法で調査した結果、240〜260年に作られた土器と発表された。


⇒卑弥呼の墓や時代と合致する!?

 

■箸墓古墳は卑弥呼の墓かもしれないが……

 2013年2月、宮内庁は歴史系15学会の代表16名に箸墓古墳の公開調査を許可。墳丘裾の周回見学の参加者によると、庄内式・布留式土器片が散見されたという。

 箸墓古墳の年代は考古学上の諸事実から3世紀中頃とする見解が大勢を占めるが、年代観については3世紀後半と考える研究者もいる。陵墓である箸墓古墳には立ち入ることもできないし、ましてや発掘調査など不可能であることが真相究明の枷(かせ)となっていることは否めない。

 はたして、3世紀中頃の奈良盆地東南部において、突発的に巨大古墳を築造するという歴史的な契機は何であったろうか。考古学的にそれを卑弥呼の登場だと実証することは、残念ながら現状では不可能といわざるをえない。

 箸墓は卑弥呼の墓であるのかも知れない。しかしそれは推測の域を出ない世界であり、現段階では考古学的事実によっては証明できないというほかはないのだ。