私欲のない政治家は理想的か

社会学の巨星マックス・ウェーバーの目には、日本の選挙はどのように映るだろうか

 東京都の舛添要一知事の辞任により、東京都知事の金銭的な問題による任期途中の辞任は、猪瀬直樹前知事の辞任から二代続くこととなった。これ以外にも、政治家が金銭的な問題によって批判を集めたり辞任を余儀なくされることは枚挙に暇がない。ニュースやワイドショーでも、時期によっては政策に関する報道より政治家の疑惑についての報道のほうが多いのではないかと感じられるほどである。

 「政治とカネ」に対する一般的な意見も厳しくなる一方だ。政治家の給与を削減すべきだと考えたり、私欲のない清廉な人物が政治家になって欲しいと考える人も多いのではないだろうか。
 私欲がなく公共的な事柄にだけ身を尽くす清廉な政治家像は、古来より理想とされてきた。たとえば、古代ギリシャの哲学者プラトン(BC427~BC347)は、国家の理想的な統治者は私欲のない「哲人王」であると主張している。哲人王とはその名の通り、哲学者の王のことである。

 王といえば普通は莫大な財産を手にしたり、巨大で華麗な王宮に居住したり、子孫繁栄のために複数の配偶者を迎え入れたりして贅沢な暮らしを送るものである。一方で、プラトンが考える哲人王は私有財産の所有が禁止され、住居は一般に公開され、特定の配偶者との家族を持つことも禁止されている。普通の人であれば幸福を感じるものが一切得られないのが哲人王なのだ。

 しかし、哲人王は哲学者として物事の背後にある真理を知ることができ、魂の調和がとれているため、財産などによって欲望を満たす必要はない。むしろ、国家全体が正しい状態にあり調和がとれていることこそが、哲人王の魂を満足させ、精神的な幸福を感じさせるのである。

 真理を知り、欲望に惑わされない哲人王が唯一の統治者となれば、国家が乱れることはなく理想的な国家となるだろうとプラトンは考えた。だが、真理を知るほどの知性を備え、欲望を完全に統御できる人物など、現実にはまず存在し得ない。

 プラトンは、国の全体から階級、性別を問わず、資質のある子どもたちを選抜し、エリート教育を施すことによって少数の哲人王候補のグループを作り、その中から王となる人物を選べば良いと考えていたが、実現は相当困難ではないだろうか。
 実際にプラトンはシチリアの都市国家シュラクサイの僭主ディオニュシオス二世を哲人王に仕立てあげようとしたが失敗に終わっている。

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