織田信長肖像画(写真提供/アフロ)
天下統一を目指す過程で、最もTPOに適した場所に城を移していった信長。先進かつ合理的だった移転の狙いとは? 歴代の居城をたどってみる。

 

小牧山(こまきやま)城は、名古屋市の北方約15キロ、濃尾(のうび)平野の北東部に位置する独立丘陵小牧山(小真木山)に築かれた平山城(標高85・9メートル)である。織田信長による築城以前の歴史は、あまりはっきりとわかっていないが、山頂には間々観音(ままかんのん)という寺院があり、それを移築した跡に築城したと伝わっている。

さて、尾張一国を統一した織田家の統領信長は、仇敵であった今川義元(注)を永禄3年(1560)に桶狭間(おけはざま)の戦いで破った3カ月後に、京への上洛の通過地点となる美濃(みの)の併合に向けて動いた。

そのためには美濃を攻める拠点が必要であった。清洲城が平城であったこと、西に位置し距離的に遠いことから、新しい本拠地として選ばれたのが広大な濃尾平野の中に位置する小高い小牧山であった。 

信長は、永禄6年(1563)6月、築城の名手丹羽長秀(にわ ながひで)に命じて築城を開始した。7月、清洲から移転するという噂は家中で広まり家臣は不服に思っていた。信長は、最初小牧山より北方の犬山市の二ノ宮に城を築き移転すると宣言した。家臣達はその引っ越しに「難儀の仕合なりと上下迷惑大形」と反対した。(続く)

 

(注)今川義元/1519~60 駿河の戦国大名で「東海一の弓取り」の異名をとった。武田信玄、北条氏康と「甲相駿三国同盟」を結び、興隆を誇ったが、桶狭間で信長に討たれ、その後今川氏は衰退していった。

 

●小牧山城データ

城の種類/山城 
所在地/愛知県小牧市堀の内1-1
築城年/永禄6年(1563)
施設/御殿、本丸、櫓、土塁、堀等

 

文/木戸雅寿(きど・まさあき)

1958年神戸市生まれ。奈良大学文学部史学科考古学専攻卒業。広島県草戸千軒町遺跡調査研究所、滋賀県安土城郭調査研究所を経て、現在滋賀県教育委員会文化財保護課。専門は日本考古学。主な著書に『よみがえる安土城』(吉川弘文館)、『天下布武の城 安土城』(新泉社)等。