日本経済大学教授、また、NPO法人「孫子経営塾」で『孫子』の基礎講座を担当している海上知明氏による、信玄の戦争を孫子を元に分析した文庫『孫子の盲点』。本書の中でも、大河ドラマ『真田丸』の真田昌幸、幸村に焦点を当てた弟子たちの争いを紹介いたします。

幸村は信玄から何を学んだか!

武田信玄公の像

   武田信玄の死後、武田家は天目山に滅びました。

   しかし、信玄は人々の心の中に生き続けたのです……。などというと安物の小説のようになりますが、実際に何人かの人物が信玄の手法を継承していったのです。

    一人は徳川家康。家康の信玄好きは有名です。

   家康は生前の信玄にさんざん脅かされながらも、信玄に私淑し、何から何まで模倣に努め、「赤備え」のように格好までまねしています。

 当然のこと信玄を経由して『孫子』を活用していました。政治から軍事に至る各分野で天才であった信玄に比べると、凡庸な観がある家康ですが、権謀術数の能力と慎重さだけは「藍より青し」で信玄の後継者と呼ぶにふさわしいでしょう。

 そして家康によって、『孫子』は江戸時代の学問として花形の一つなりました。この家康をもっとも苦しめた敵に真田昌幸、幸村(信繁)父子がいます。家康は真田昌幸が籠もる上田城を攻めてさんざんな目にあっただけでなく、息子の秀忠が「関ヶ原合戦」直前に、やはり昌幸に挑発されて上田城を攻めて足止めをくらい、「関ヶ原合戦」に遅参するという失態を演じています。